1月の風物詩|初詣・若水・初夢・書き初め・鏡開き・左義長・小正月…

1月の風物詩の意味や由来・日程などをまとめてあります。◇初詣(はつもうで)1月1日◇若水(わかみず)1月1日◇初夢(はつゆめ)1月1日◇書き初め(かきぞめ)1月2日◇鏡開き(かがみびらき)1月11日◇左義長(さぎちょう)1月14日~15日◇小正月(こしょうがつ)1月15日――。そのほかそれぞれの風物詩を季語に詠んだ俳句も載せてあります。

 

初詣(はつもうで)1月1日

初詣とは、元日(がんじつ=1月1日)に、はじめて神社やお寺にお参りすること。平安時代からの風習で、初参(はつまいり)や初社(はつやしろ)とも言います。年頭にあたり、土地神様(とちがみさま/鎮守様=ちんじゅさま/氏神様=うじがみさま)や歳神様(としがみさま)にお参りをして、一年間の平安と無病息災をお祈りします。

歳神様は、年によって宿る方角が変わるので、その年に歳神様がいる方角(恵方=えほう)の社寺にお参りをしますが、これを恵方詣(えほうもうで)とも言います。大晦日(除夜)を寝ないで過ごし、深夜12時に、土地神様や歳神様のいる神社やお寺に出かけるのが本来の初詣の姿ですが、現在は、有名な神社仏閣に初詣に出かける人も多くなっています。

初詣を季語に詠んだ俳句…初詣善男善女の代に似たり(はつもうで ぜんなんぜんにょの よににたり)香西照雄(こうざいてるお)/神慮今鳩をたたしむ初詣(しんりょいま はとをたたしむ はつもうで)高浜虚子(たかはまきょし)/樹々の黙光るまで佇つ初詣(きぎのもだ ひかるまでたつ はつもうで)加藤知世子(かとうちよこ)

若水(わかみず)1月1日

若水とは、元日の早朝(元旦=がんたん)に、井戸水を汲み上げて、神様や神棚にお供えすること。平安時代に宮中で立春の日に飲み水などを管理する主水司(もいとりのつかさ)から天皇に献上された水のことを若水と呼ばれていましたが、元旦にはじめて汲み上げる水を若水というようになりました。

その風習が民間にも伝わり、元旦に、年男(としおとこ=正月の家々の祭事を務める男)が、井戸や川などから若水を汲んできて、歳神様にお供えするようになりました。地域によっては女性が若水を汲みにいくところもあります。

若水を飲むと一年間の邪気が除かれると信じられ、生華水(せいかすい)・若水桶(わかみずおけ)・若井(わかい)・初釣瓶(はつつるべ)などの別称もありましたが、水道水となった今では、若水は、ほとんどすたれてしまいました。

若水を季語に詠んだ俳句…若水にざぶと双手やはしけやし(わかみずに ざぶともろてや はしけやし)星野立子(ほしのたつこ)/若水や一つの桶へ二タ釣瓶(わかみずや ひとつのおけへ ふたつるべ)小杉余子(こすぎよし)/若水や星うつるまで溢れしむ(わかみずや ほしうつるまで あふれしむ)原田種茅(はらだたねじ)

初夢(はつゆめ)1月1日

初夢とは、元日から二日の夜にかけて見る夢のこと。古くは立春(節分の夜)に見る夢を初夢と言いました。初夢に見るめでたい夢は一年の幸福をもたらすという俗信から、よい夢を見るために枕の下に宝船の絵を敷いてねる風習もありました。江戸時代には、元日と二日の宵に、七福神の乗っている宝船の一枚刷りの絵を売り歩く舟屋(ふなや)という商売もありました。

初夢に見るめでたい夢は「一富士、二鷹、三茄子」(いちふじ、にたか、さんなすび)といって、富士山の夢がいちばんめでたく、タカとナスの夢が次にめでたいとされていますが、これは、静岡の名産を順番にしたという説もあります。ちなみに「一富士二鷹三茄子」に続くのは「四扇、五煙草、六座頭」(しおうぎ、ごたばこ、ろくざとう)と言われていますが諸説あります。

初夢を季語に詠んだ俳句…初夢に古郷を見て涙哉(はつゆめに ふるさとをみて なみだかな)小林一茶(こばやしいっさ)/初夢の思ひしことを見ざりける(はつゆめの おもいしことを みざりける)正岡子規(まさおかしき)/初夢の扇ひろげしところまで(はつゆめの おおぎひろげし ところまで)後藤夜半(ごとうやはん)

 

書き初め(かきぞめ)1日2日

書初めとは、新しい年が明けて、はじめて書や絵を書く行事のこと。江戸時代には、恵方(えほう=その年の吉方)に向かって、めでたい詩歌の章句などを書きました。もともとは宮中の行事でしたが、江戸時代に庶民の間に広まった年中行事です。

試筆(ためしふで)・吉書(きっしょ)・筆始(ふではじめ)などとも呼ばれ、初硯(はつすずり)・書始(かきはじめ)などの別名もあります。書初めで書いた書を小正月(こしょうがつ)に行なわれる左義長(さぎぢょう)で燃やし、その紙が高く上がれば字が上達する、という言い伝えもあります。

書初を季語に詠んだ俳句…一波に消ゆる書初め砂浜に(ひとなみに きゆるかきぞめ すなはまに)西東三鬼(さいとうさんき)/書初の筆力今を盛りとす(かきぞめの ひつりょくいまを さかりとす)矢田挿雲(やだそううん)/書初や日のさす方へ並べ行く(かきぞめや ひのさすほうへ ならべゆく)篠原温亭(しのはらおんてい)

鏡開き(かがみびらき)1月11日

鏡開きとは、正月にお供えした鏡餅を1月11日に食べる儀式のこと。鏡餅は包丁などの刃物を使って切らずに、木槌などで叩いて割り、雑煮やおしるこに入れて食べます。縁起をかつぐために、鏡餅は「切る」とは言わずに「開く」と言います。

古来は鏡開きは、1月20日に行なわれていましたが、徳川三代将軍家光(いえみつ)の忌日(きにち)が 20日であったため家光の死後、11日に改められたという説もあります。『倭訓栞』(わくんのしおり)という江戸時代の国語辞典には「承応壬辰年(じょうおうじんしんねん=1652年)より十一日にあらためらるるとぞ」と記されています。

江戸時代、武家社会では、鏡開きのことを「具足開き」(ぐそくびらき)といい、鎧兜(よろいかぶと)に備えた具足餅(くぞくもち)を雑煮にして食べることを「刃柄を祝う」(はつかをいわう)と言いました。また、女性は、鏡台(きょうだい)に備えた鏡餅を鏡開きの日に食べることを「初顔を祝う」(はつかおをいわう)と言いました。

鏡開を季語に詠んだ俳句…伊勢海老のかがみ開きや具足櫃(いせえびの かがみびらきや ぐそくびつ)森川許六(もりかわきょろく)/手力男かくやと鏡開きけり(てぢからお かくやとかがみ ひらきけり)京極杜藻(きょうごく とそう)/銀行の嘉例の鏡びらきかな(ぎんこうの かれいのかがみ びらきかな)久保田万太郎(くぼたまんたろう)

左義長(さぎちょう)1月14日~15日

左義長とは、1月14日の夜から15日の早朝かけて、人々が持ち寄った正月飾り(松飾り・注連飾り)や書初めで書いた書などを燃やす火祭り。古くは宮中で行なわれ、靑竹を焼いて、天皇が書いた書を天に上らせたのが左義長の由来といわれています。どんど焼き・せいと祓い・おんべ焼きなどの別名でも呼ばれています。

火の燃える音や煙の流れる方向で、その年の豊作の吉凶を占ったりする地方もあるほか、「吉書揚」(きっしょあげ)といって、書初めで書いた書を燃やし、高く燃え上がると字が上達するという言い伝えもあります。左義長のときに、木の枝に餅や団子を吊るして、焼いて食べたりする地域もあります。

左義長を季語に詠んだ俳句…左義長へ行く子行き交う藁の音(さぎちょうへ ゆくこゆきかう わらのおと)中村草田男(なかむらくさたお)/左義長や婆が跨ぎて火の終(さぎちょうや ばばがまたぎて ひのしまい)石川桂郎(いしかわけいろう)/左義長の燃えあがるものなくなりぬ(さぎちょうの もえあがるもの なくなりぬ)加藤三七子(かとうみなこ)

小正月(こしょうがつ)1月15日

小正月とは、1月15日のこと(地方によっては、1月14日から16日)。元日を「大正月」(おおしょうがつ)というのに対して呼ばれる名称。その年の幸せを願って、さまざまな行事が行なわれます。元日から1月7日までを大正月、1月15日から20日までを小正月とするなど、地域によって異なります。

大正月には門松を飾りますが、小正月には、餅を薄く伸ばし、丸く平たく切って色づけをした餅花(もちばな)や削り花(けずりばな)と呼ばれる神仏に供える飾り棒などを飾る風習もあります。これを花正月(はなしょうがつ)といいます。小豆粥(あずきがゆ)を炊いて食べる地方もあります。

また、昔は、松の内は家事で忙しい女性が、小正月(1月15日)から年始の回礼をする習慣もあり、これを女正月(おんなしょうがつ)と呼ばれていました。小正月の期間や風習については地域によって違いがありますが、元日から続いた正月の行事も小正月でひと区切りになります。

小正月を季語に詠んだ俳句…衰ふや一椀おもき小正月(おとろうや いちわんおもき こしょうがつ)石田波郷(いしだはきょう)/松とりて世ごころ楽し小正月(まつとりて よごころたのし こしょうがつ)小林一茶(こばやしいっさ)/煮こんにゃくつるりと食へば小正月(にこんにゃく つるりとくえば こしょうがつ)松本旭(まつもとあさひ)

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