江戸時代の雛人形を画像で解説(亨保雛・太郎左衛門雛・古今雛)

江戸時代の雛人形◇亨保雛(きょうほびな)◇次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)◇古今雛(こきんびな)◇有職雛(ゆうそくびな)――を画像とともに解説しています。江戸中期・亨保年間の奢侈禁止令が出された時代に徳川家に納められていた越谷段雛(こしがやだんびな)も紹介しています。

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江戸時代の雛人形

江戸時代の雛人形

雛人形の歴史は平安時代を起源としますが、江戸時代に入って、京都と江戸を中心に、貴族だけではなく庶民にも普及していき、豪華な段飾りなども作られるようになりました。

江戸時代の中期になると雛人形の大きさや豪華さが競われるよになり、亨保(きょうほ)6年(1721年)に幕府によって「奢侈禁止令」(しゃしきんしれい)が出され、華美な雛人形の製造や販売が禁止されました。

江戸時代の代表的な雛人形には、寛永雛(かんえいびな)亨保雛(きょうほびな)次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)古今雛(こきんびな)有職雛(ゆうそくびな)などがあります。以下、様式や特徴などを見ていきましょう。

亨保雛(きょうほびな)

亨保雛

亨保雛(ぎょうほびな)は江戸時代中期(1716年~1736年)享保年間(きょうほねんかん)に流行した雛人形です。京都で作られ、豪華絢爛さが人気となって、全国に広まっていきました。

亨保雛

男雛(おびな)の装束(しょうぞく=衣装)は束帯(そくたい=…昔の朝廷の正装)で、女雛(めびな)は五衣唐衣(いつつぎぬからぎぬ=十二単=じゅうにひとえ)。亨保雛は豪華さや大きさが競われるようになっていき、幕府の「奢侈禁止令」の対象にもなりました。

次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)

次郎左衛門雛

次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)は、江戸中期、京都の人形師・次郎左衛門が作った雛人形です。源氏物語絵巻に登場する丸い顔と引目鉤鼻(ひきめかぎばな)の優雅な顔が特徴で、流行とは関わりなく、雛の本流として、公家や大名家に人気のあった雛人形です。引目鉤鼻とは、長い黒髪と面長の顔に、細く長めの目を引いて、鉤状の鼻を描く大和絵の描写法で、貴族の男女の顔の表情を表現するのに用いられました。

古今雛(こきんびな)

古今雛

古今雛(こきんびな)は、江戸中期・明和年間(めいわねんかん=1764年~1772年)に、上野・池之端(いけのはた)の雛問屋・大槌屋(おおづちや)が、日本橋の人形師・原舟月(はらしゅうげつ)に作らせ「古今雛」と名づけて売ったのが始まり。それまでは、京都の雛人形が主流でしたが、江戸生まれの浮世絵美人風の華麗な雛人形ということで、江戸だけけではなく、大阪や京都にも広まっていきました。

雛の瞳にガラスや水晶をはめ込めむ技法はこの古今雛から始まり、写実的な顔や金糸や色糸などで刺しゅうを施した華麗な装束(しょうぞく)など、現在の雛人形は、ほとんどが、この古今雛の系譜に属しているといわれています。

有職雛(ゆうそくびな)

有職雛

有職雛(ゆうそくびな)は、江戸時代の中期・宝暦年間(ほうれきねんかん=1751年~1764年)に作られ、一般に売り出されたものではなく、朝廷に使えた公家衆(くげしゅう)が特別に注文して作らせた雛人形です。朝廷や公家の儀式・行事・官職などに携わる者=有職(ゆうそく)の装束をまとった雛人形ということで有職雛の名が付けられました。

有職雛は豪華さを競うのではなく、実際の公家社会の礼式にかなった装束(しょうぞく)を忠実に再現して作られているのが特徴。雛の装束の様式によって、束帯雛(そくたいびな)直衣雛(のうしびな)狩衣雛(かりぎぬびな)とも呼ばれています。

越谷段雛(こしがやだんびな)

越谷段雛

江戸中期・亨保年間(きょうほねんかん)、幕府の「奢侈禁止令」(しゃしきんしれい)により、豪華な雛人形の製作が禁止されたとき、箱の中に段を付け、けし粒のような雛を並べた雛人形が作られ、徳川家などに納められていました。それが埼玉県越谷市の「越谷段雛」(こしがやだんびな)と呼ばれるもの。

観音開きの桐箱に入り、内裏雛・五人囃子・三人官女の三段飾りになっています。屏風には松が描かれています。「御小屋雛」(おこやびな)とも呼ばれ、長年、幻の雛人形と言われていましたが、近年、東京と秩父の旧家に保管されていたのが分かり、その存在が明らかになりました。上の写真は復元された越谷段雛です。
 

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