3月の年中行事と風物詩|二月堂お水取り・涅槃会・利休忌・花会式…

3月に行なわれる年中行事と風物詩を動画や写真をまじえて解説します。3月の代表的な年中行事は◇二月堂お水取り(修ニ会=しゅにえ)◇涅槃会(ねはんえ)◇利休忌(りきゅうき)◇薬師寺花会式(やくしじはなえしき)。3月の風物詩はお花見。お花見については歴史や季語・類語などをお伝えします。

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二月堂お水取り(修ニ会)

奈良の 東大寺(とうだいじ)二月堂(にがつどう)で行なわれる伝統行事。正式には修ニ会(しゅにえ)と呼ばれます。練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる僧侶たちが、人々代わって十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)の前で罪を懺悔し、天下安穏などを祈願する法会(ほうえ)です。

奈良時代の天平勝宝(てんぴょうしょうほう)4年(752年)に始まって以来、一度も途絶えることなく、2016年で1265回目を迎えました。旧暦2月1日から14日に行なわれていましたが、現在は、3月1日から14日までの14日間にわたって行なわれます。

お水取り

期間中の3月12日の深夜(13日の午前2時)に、若狭井(わかさい)と呼ばれる井戸から観音様(十一面観世音菩薩)にお供えする「お香水」(おこうずい)を汲み上げる儀式が「お水取り」(おみずとり)です。松明(たいまつ)の灯る中で厳かに行なわれるので「お松明」(おたいまつ)とも呼ばれます。

涅槃会(ねはんえ)

お釈迦様(おしゃかさま)が亡くなった日(旧暦2月25日)に全国各地の仏教寺院で行なわれる追悼の法会(ほうえ)。現在は3月15日に行なわれています。日本では、推古天皇のとき(592年~628年)に、奈良にある元興寺(がんこうじ)で行なわれたのが最初と言われています。

お釈迦様の入滅(にゅうめつ=死)の様子を描いた「涅槃図」(ねはんず)を掲げ、お釈迦様が弟子に残した最後の経典・遺教経(ゆうきょうきょう)を読経して法会を営みます。民間では、あられのように切った餅花煎(もちばないり)や団子・鏡餅などを供物にするなど、地方によって、いろいろな風習があります。

利休忌(りきゅうき)表千家・裏千家

安土桃山時代の天正(てんしょう)19年(1591年)、豊臣秀吉の怒りを買って、2月28日に自刃(じじん=切腹)した千利休(せんのりきゅう)の命日に行なわれる茶会。現在は新暦で行なわれ、表千家(おもてせんけ)は3月27日、裏千家(うらせんけ)は3月28日に営まれます。家元のたてた薄茶(うすちゃ)を参列した門弟たちがいただき、利休の遺徳(いとく)をしのびます。

薬師寺花会式(やくしじはなえしき)

3月25日から3月31日にかけて行なわれる奈良・薬師寺(やくしじ)の年中行事。平安時代後期・堀河天皇(ほりかわてんのう)の皇后(こうごう)の病気回復を祝って10種類の造花をご本尊の薬師如来(やくしにょらい)に供えたのが「 花会式 」の始まりと言われています。

もともとは旧暦の二月に行なわれていた修ニ会(しゅにえ)と呼ばれる行事ですが、東大寺の修ニ会が「お水取り」と呼ばれるように、薬師寺の修ニ会は、造花を献花することから「花会式」と呼ばれるようになりました。最終日の3月31日の夜には「鬼追式」(おにおいしき)が行なわれ花会式が締めくくられます。

花見の歴史と季語・類語

3月といえばお花見。奈良時代の貴族の行事が起源といわれています。当時は中国から伝来した梅を観賞していましたが、平安時代になって、桜を愛でるようになりました。花見の宴や桜の木の下に酒肴(しゅこう)を持ち寄って和歌を詠む習俗(しゅうぞく)もこのころから広まっていきました。

庶民が満開の桜の木の下でお酒や食事を楽しむようになったのは江戸時代に入ってから。1720年(享保5年)に徳川吉宗が浅草・墨田川堤や飛鳥山(あすかやま)に桜を植えさせ、庶民の行楽を奨励したこともあり、花見の風習が広く庶民の間に定着していきました。

花見

花見の類語には、桜狩(さくらがり)や観桜(かんおう)などの言葉があり、花見の季語には、花衣(はなごろも)花疲れ(はなづかれ)花冷え(はなびえ)花吹雪(はなふぶき)飛花(ひか)花の雲(はなのくも)花埃(はなぼこり)花便り(はなだより)花衣(はなごろも)花影(かえい)・花の雨(はなのあめ)花の宿(はなのやど)などかあります。
 

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