2016年7月17日(日)。埼玉県越谷市下間久里(しもまくり)の香取神社(かとりじんじゃ)と下間久里地区一帯で毎年7月の第三日曜日に行なわれる「下間久里の獅子舞」(しもまくりのししまい)を見に行ってきました。400年以上の歴史をもつ埼玉県の無形民俗文化財にも指定されている伝統行事です。
下間久里の獅子舞の光景|撮影日…2016年7月17日(日)
9時半に香取神社に到着。境内にはテントが張られ、浴衣を着た関係者が獅子舞行事の準備に追われていました。警備員の制服を着た男性の姿も見えます。テントの中には席が設けられ、缶ビールやおつまみ(枝豆と唐揚げ)が置いてあります。来賓席のようです。境内の倉庫に三頭の獅子が飾られていました。獅子の後ろの壁には二枚の額が飾られています。一枚は、下間久里の獅子舞が埼玉県の無形民俗文化財に指定されたことを記す「指定書」。指定日は昭和37年3月10日。もう一枚は、下間久里の獅子舞の指導者として認定された方の名前が書かれています。認定日は昭和37年3月10日。この三頭の獅子は、埼玉県の無形民俗文化財に指定されたときの獅子でしょうか。
本殿では三人の獅子役の男性と太夫たちが準備の真っ最中。笛方(ふえかた)は音合わせを行なっています。境内には花笠をかぶった男の子たち姿も見えます。
午前9時30分。本殿で「獅子に魂を入れる」儀式が始まりました。祝詞(のりと)が唱えられるなか、大夫獅子(たいふじし)中獅子(なかじし)女獅子(めじし)が笛の音に合わせて太鼓を鳴らし始めました。三頭の獅子の動きからは魂が宿ったような気が伝わってきます。
本殿で「獅子に魂を入れる」儀式が終わったあと、大夫・獅子・花笠・笛方など、獅子舞を行なう人たちは、いったん鳥居の外に移動。ここで整列して獅子舞の儀式が始まるのを待ちます。
午前10時。開始のアナウンスのあと本殿前で来賓のあいさつ。越谷市長・越谷市議会議長・越谷市教育委員会委員長がそれぞれ挨拶を行ない、午前10時30分、獅子舞の開始です。
「埼玉県指定 越谷市 無形文化財 芸能 下間久里の獅子舞」と書かれた幟(のぼり)を持った男性を先頭に、御幣(ごへい)を持った大夫・刀を持った副大夫・笛方・花笠・大夫獅子(たいふじし)・中獅子(なかじし)・女獅子(めじし)・笛方が隊列を組んで、鳥居から本殿へ向かいます。「お練り」(おねり)と呼ばれる儀式です。
三頭の獅子(大夫獅子・中獅子・女獅子)が本殿前で参拝。「宮参り」(みやまいり)と呼ばれる儀式です。ちなみに下間久里の獅子舞の獅子の正式名称は「雨下無双角兵衛」(あめがしたむそうかくべい)と呼ばれます。「雨下」とは天下のこと。「天下に二つとない獅子である」という意味です。
香取神社での舞を終えた獅子舞連中は、下間久里地区の各家庭を回る「村回り」と呼ばれる儀式に向かいます。
村回りの途中、獅子舞連中は「ヤド」と呼ばれる家で休憩をとります。上の写真はヤドの一軒・福田家。時間は午後12時15分。ちょうどお昼ごはんを兼ねた休憩中でした。
福田家は地元・下間久里で代々農家を続けている旧家で、福田家のみなさんが獅子舞連中をもてなしています。下間久里の獅子舞が始まったのは約420年前。当時もこのような光景が見られたのでしょうか。
福田家の伝統のおもてなしは、しょう油飯のおにぎりとたくわん。しょう油飯のおにぎりとたくわんを交互に食べると美味しいそうです。おにぎりのお米とたくわんのダイコンは、どちらも福田家の田んぼと畑で収穫されたもの。これをいただくと獅子舞連中の疲れが一気に吹き飛ぶそうです。
宿(やど)の福田家をあとにした獅子舞連中は、道中(どうちゅう)でも舞を行ないながら村回りを続けます。。村回りが終わるのは午後10時半過ぎ。最後に、下間久里地区と大里(おおさと)地区との境で、大夫による「辻切り」が行なわれ、追い詰めてきた村中の悪魔を追い出して終了となります。
来年(2017年)は夜の獅子舞と最後の辻切りをぜひ見たいと思います。