4月7日の季語と俳句。低き木の八重桜花重たけれ…他

4月7日にふさわしい季語と俳句をより抜きました。●八重桜…低き木の八重桜花重たけれ(山口誓子)●亀鳴く…亀鳴くと嘘をつきなる俳人よ(村上鬼城)●鮒膾(ふななます)…舟中に冷たき酒や鮒膾(坂本四方太)――全24句。絵手紙や社内報などにお使いください。4月7日は俳人・三橋鷹女(みつはしたかじょ)の命日なので、三橋鷹女の俳句も紹介しています。

 

八重桜

上野・寛永寺第二霊園の八重桜 八重桜(やえざくら)は、花びらが八重で重くぽってり咲く桜で、花の色は薄紅(うすべに)や白など。開花は遅く、ソメイヨシノの見ごろが終わったころに咲き始めます。八重桜という桜の品種があるわけではありません。里桜(さとざくら)や牡丹桜(ぼたんざくら)を総称して八重桜と呼ばれています。花やつぼみは塩漬けにして桜湯(さくらゆ)にします。上の写真は東京・上野にある寛永寺(かんえいじ)第二霊園の八重桜です。

低き木の八重桜花重たけれ(山口誓子)/八重桜睡りかけたる月起す(深尾秀子)/奈良七重七堂伽藍八重桜(松尾芭蕉)/満ち足らふことは美し八重桜(富安風生)/なにごとも牡丹桜の濃きままに(後藤夜半)/傘をうつ牡丹桜の雫かな(杉田久女)

亀鳴く

亀鳴く(かめなく)とは、春の季語です。もちろん亀が鳴くはずはありませんが、古くから、春になるとオスの亀かメスの亀を求めて鳴くと言い伝えられてきました。もともとは、鎌倉後期の和歌集『夫木集』(ふぼくしゅう)に収められている藤原為家(ふじわらのためいえ)の詠んだ「川越のをちの田中の夕闇に何ぞときけば亀の鳴くなり」からきていると言われ、昔から俳人が好む季語のひとつになっています。

亀なくとたばかりならぬ月夜かな(富田木歩)/亀啼くや青春果てし手を洗う(小林康治)/音もなく雨の降る夜を亀鳴けり(三宅応人)/手ぐすねひき人を待ちをり亀鳴けり(水沢龍星)/亀鳴くと嘘をつきなる俳人よ(村上鬼城)/亀鳴くや皆愚かなる村のもの(高浜虚子)



 

鷹女忌

4月7日は、俳人・三橋 鷹女(みつはしたかじょ)の命日です(鷹女忌)。明治32年(1899年)12月24日生れ。昭和47年(1972年)4月7日歿。享年72。中村汀女(なかむらていじょ)星野立子(ほしのたつこ)橋本多佳子(はしもとたかこ)らとともに昭和期に活躍した代表的な女性俳人のひとり。「みんな夢雪割草が咲いたのね」など、話し言葉を駆使した奔放な作風で人気を呼びました。

白露や死んでゆく日も帯締めて/千万年後の恋人へダリヤ剪(き)る/桜桃のみのれる国をまだ知らず/ひるがほに電流かよひゐはせぬか/夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり/みどり葉を敷いて楚々(そそ)たる初鰹/老いながらつばきとなつて踊りけり

鮒膾(ふななます)

鮒の刺身 鮒膾(ふななます)とは、鮒(ふな)を薄切りにして、辛子酢(からしず)や蓼酢(たてず)で和えたもの。冬の間、冬眠していたフナは、春になって水が温かくなると、産卵のために動き始めます。このフナを捕えて、刺身にして酢味噌などで和え(膾にして)、炒り煮にしたフナの卵を膾にまぶしたものは、山吹膾(やまぶきなます)と呼ばれ珍重されてきました。

鮒膾瀬多の橋裏にさす日かな(飯田蛇笏)/もてなしの膳には旬の鮒膾(深尾素心)/八荒や腹子まみれの鮒膾(山口草堂)/船人の近江言葉よ鮒膾(高濱虚子)/舟中に冷たき酒や鮒膾(坂本四方太)/鮒膾草津の駅は荒れにけり(正岡子規)

4月7日の日記

大聖寺参道の八重桜

4月7日。大聖寺参道の八重桜が見ごろを迎えている。先日まで花を咲かせていたヤマザクラはすでにほとんどが散ってしまった。虹だんご軒先の藤棚では藤が開花の準備を始めている。大聖寺参道は、ソメイヨシノの見ごろが終わったあとの大島桜・山桜・里桜の競演が美しい。虹だんごで、しょうゆとみたらしを二本ずついただいた。大聖寺の八重桜が見ごろを終えると次は虹だんごの藤棚が見ごろを迎える。参道がいちばん華やぐ季節である。4月7日。今日の季語は八重桜。

寺も世をたのむこゝろや八重桜(松岡青蘿)

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