埼玉県幸手市にある名前が同じお寺、正福寺と聖福寺。どちらも呼び名は「しょうふくじ」。令和元年10月26日に幸手宿観光ガイドの会が主催する街歩きイベントの中で、正福寺と聖福寺も訪れました。由緒ある二軒のお寺の歴史や境内の史跡など、ガイドさんから聞いた秘話なども交え、現地で撮った写真とともにお伝えします。
正福寺
正福寺(しょうふくじ)は、香水山楊池院正福寺(こうすいさん ようちいん しょうふくじ)と称する真言宗智山派のお寺です。本尊は不動明王。創建年代は不詳ですが、正福寺の歴史や由緒を伝える古文書や書画などの寺宝(じほう)が多数、保存されています。江戸時代には、檀林(だんりん)と呼ばれる僧侶の養成機関が置かれていました。本堂と境内
参道の正面にある平面的な形をした本堂は、一般的な寺院建築とは趣を異にします。建物は鉄筋コンクリート製で外壁の色は白。屋根は勾配のついた瓦葺き屋根(かわらぶきやね)ではなく、勾配のない平面状の陸屋根(ろくやね)です。一瞬、納骨堂かなと思いました。本堂に向かって右手には、十三段に積み重なった層塔(そうとう)=十三重塔(じゅうさんじゅうのとう)が置かれています。境内では大きな庭石をはじめ松やクスノキなどの巨木も目立ちます。植木の手入れもしっかりなされているので、境内は清々しい雰囲気です。
日光道中道標|馬頭観音道標
境内に入ってすぐのところに日光道中道標(にっこうどうちゅうみちしるべ)と呼ばれている馬頭観音道標(ばとうかんのんどうひょう)が置かれています。高さは 1メートル60センチほどあるでしょうか。大きな道しるべです。造立(ぞうりゅう)年代は江戸中期・寛政12年(1800)正面に「寛政十二庚申歳 馬頭観世音供養 皐月十九日」(かんせいじゅうにこうしんどし ばとうかんぜおんくよう さつきじゅうくにち)、左面には大きく「日光道中」(にっこうどうちゅう)と彫られています。
右面には「ごんげんどう可し」(ごんげんどうかし)と大きく刻まれています。「ごんげんどう可し」とは「権現堂河岸」(ごんげんどうかし)のこと。幸手市には昔、江戸川に権現堂河岸と呼ばれる河岸場(かしば)=船着場がありました。
この道標は、日光道中(日光街道)と権現堂河岸の分かれ道であることを記す道しるべになっていたことがわります。昔は分岐点(分かれ道)に置かれていたものを道路整備などの理由で、この場所に移されたものと思われます。
義賑窮飢の碑
上の写真の左側の石碑は、義賑窮飢の碑(ぎしんきゅうがのひ)。埼玉県の文化財(史跡)にも指定されています。江戸中・天明の大飢饉(てんめいのだいききん)のときに、幸手宿の豪商21人が、お金や穀物を出し合って、幸手の人々を助けたことを後生に伝えようと建てられました。石碑はかなり風化していて文字は読み取りにくいですが、どこの誰が何をどれだけ寄付したかなどが刻まれています。無縁仏の供養塔
正福寺の境内でひときわ目を引くのが、墓石がピラミッドのように積み上げられている石仏群。無縁仏の供養塔です。高さはおよそ3メートル。頂上では観世音菩薩立像(かんぜおんぼさつりつぞう)が供養塔をお守りしています。正福寺の場所と地図
正福寺の住所は 〒340-0111 埼玉県幸手市北1-10-3( 正福寺の地図 )。住所の読みは「さいたまけん さってし きた」。電話番号は 0480-43-3343 。最寄駅は東武日光線・幸手駅東口。徒歩約10分です。聖福寺
こちらの聖福寺(しょうふくじ)は、寺号を菩提山東皐院聖福寺(ぼだいさん とうこういん しょうふくじ)と称する浄土宗のお寺です。開山は、室町中期・応永年間(1394年~1428年)ごろと伝えられています。江戸時代は将軍家や日光例幣使(にっこうれいへいし)の休憩所としても使われました。日光例幣使とは、江戸時代、朝廷から日光東照宮の例大祭に派遣された勅使(ちょくし)=使者のこと。将軍家が立ち寄るようになって寺の様子が一変。今までとは別の新しい寺のようになったということで、こちらの聖福寺は「しんてら」(新寺)と呼ばれるようになりました。
芭蕉の句碑
参道の右脇に松尾芭蕉(まつおばしょう)の句碑があります。この句碑は聖福寺の住職が建てたもの。石碑に刻まれている句は、芭蕉が詠んだ「幸手を行けば栗原の関」と、弟子の曽良(そら)が詠んだ「松杉をはさみ揃ゆる寺の門」の二句。これは、晩年の松尾芭蕉が、奥の細道の旅を懐かしんで、句会で詠んだ連句(れんく)です。連句とは、発句(ほっく)と呼ばれる最初の句(上の句)に、別の読み手が下の句を重ねて、交互に句を連ねていくもの。
この連句の発句(上の句)は「きり麦をはや朝がけにうち立てて」。それに「幸手を行けば栗原の関」と芭蕉が重ね、曽良が「松杉をはさみ揃ゆる寺の門」と重ねました。なお曽良が詠んだ「寺の門」は、聖福寺の山門(勅使門=ちょくしもん)とされていますが、確固たる証拠はありません。