疱瘡神を祀る越谷市の神社を巡り新型コロナ収束を祈念した。

疱瘡神(ほうそうがみ)を祀る埼玉県越谷市の神社を巡って新型コロナ収束を祈念してきました。疱瘡神といえば疱瘡=天然痘の蔓延を抑える神様。さしずめ今でいう新型コロナウイルを打ち払い、コロナ禍から人々を救済してくれる神様といったところでしょうか。越谷市に現存する疱瘡神の石塔は、千疋伊南理神社(せんびきいなりじんじゃ)をはじめ全9基。現地で撮影した写真とともに順を追ってお伝えしていきます。

 

疱瘡と疱瘡神

疱瘡神石祠 疱瘡(ほうそう)とは、天然痘(てんねんとう)の古い呼び名で、天然痘ウイルスによって感染する伝染病のこと。江戸時代には毎年のように流行し、当時は死因の第一位にあげられ、子供の罹患率(りかんりつ)も高く、日本国中が天然痘の猛威に苦しめられました。その後、ワクチン(種痘=しゅとう)が日本に伝わり、予防接種の普及によって、撲滅されましたが、昔は神仏に祈るしか手だてはありませんでした。

古来、疱瘡は疫病神(やくびょうがみ)=鬼神(きしん)の仕業として信じられてきました。江戸時代の中ごろには、疱瘡は疱瘡神(ほうそうがみ)のなせる業(わざ)であり、この神に祈願すれば、疱瘡から免れ、かかったとしても軽くすむと信じられ、自然石や石祠(せきし)に「疱瘡神」と刻んで、祀られるようになりました。『日本石仏図典』(日本石仏協会編)には「江戸には疱瘡神を祀る神社が25社あった」とあります。

越谷市で行なわれていた疱瘡神に関する行事

かつて、越谷市の旧大杉村(現在の新方=にいかた=地区)では、毎年1月19日に、疱瘡神に関する行事が、大杉新田稲荷神社(越谷市大杉)で行なわれていたことが『越谷市新方地区の石仏』平成7年8年度調査(平成31年1月改訂版)=加藤幸一編=に記されています。

赤文字で疱瘡神と刻まれた石祠

大杉新田の地元では、稲荷神社の疱瘡神供養塔(石塔)に注連縄(しめなわ)を巻き、その注連縄に赤く塗られた紙でできた四手(しで)を垂れ下げ、さらに石塔に赤く塗られた幣束(へいそく)=御幣(ごへい)を付けた棒を立てかけ、そこに、粳(うるち)の小豆ご飯を供えた。そしてお参りに来る地元の人々に小豆ご飯の小さな握り飯が振る舞われた。赤は疱瘡神が嫌う色で、疱瘡の病にかるのを防ぐとされた……『越谷市新方地区の石仏』(加藤幸一編)より引用

越谷市内に現存する疱瘡神の石塔

越谷市内には、千疋伊南理神社(せんびきいなりじんじゃ)境内の江戸後期・文政12(1829)年の石祠(せきし)をはじめ9基の疱瘡神供養塔が現存しています。石塔の形は祠型(ほこらがた)および自然石で「疱瘡神」などと刻まれています。以下、8基の石塔をご紹介します。9基のうち1基は個人宅の敷地内にあるので、今回の取材は控えました。

 

千疋伊南理神社

疱瘡神文字塔 越谷市東町にある千疋伊南理神社(せんびきいなりじんじゃ)の疱瘡神文字塔。江戸後期・弘化4(1847)年造立。(正面)疱瘡□ ※□は破損箇所。「神」という文字が刻まれていたと思われます。(左側面)弘化四未年三月吉日

疱瘡神文字塔|千疋伊南理神社 千疋伊南理神社の創建年代は不詳ですが『新編武蔵風土記稿』千疋村の項に「稲荷社 村の鎮守なり、柿木村萬幅寺の持」とあり、当時は「伊南理」ではなく「稲荷」の文字が社号に用いられていたことがわかります。境内には、疱瘡神の文字塔のほかに、塞神・水神・浅間神社・天王宮・天満神社・厳島大神・稲荷大明神・諏訪大明神などの石祠も配されています。

大杉新田稲荷神社

疱瘡神供養塔|大杉新田稲荷神社 越谷市大杉にある(大杉第二集会所に隣接している)大杉新田稲荷神社の疱瘡神文字塔。造立年代は不詳。祠の中に祀られています。「疱瘡神」と赤文字で刻まれ、御幣(ごへい)が赤く塗られているのは、疱瘡が「赤」を嫌うことから。この神社で疱瘡神に関する行事が行なわれていたことを彷彿させます。

疱瘡神の社|大杉新田稲荷神社 お稲荷さまの境内には、疱瘡神のお社(上の写真)のほか、水神宮文字塔(天保13〈1842〉年)が祀られているお社、青面金剛像庚申塔(寛政11〈1799〉年)、猿田彦文字庚申塔(天保13〈1842〉年)なども祀られています。また、かつて、大杉新田村には屋号が「疱瘡神」(ほうそうがみ)と呼ばれる家があったことが『越谷市新方地区の石仏』(加藤幸一編)に記されています。

船渡香取神社

疱疹神・痘疹神供養塔|舩渡香取神社 越谷市船渡(ふなと)にある船渡香取神社の疱疹神(ほうしんがみ)痘疹神(とうしんがみ)供養塔。場所は社殿の裏手。江戸中期・安永5(1776)年造立。(正面)疱疹神 痘疹神 ※疱疹はヘルペス、痘疹とは天然痘=疱瘡のこと。(左側面)安永五丙申年(右側面)九月吉日 願主 大泉院。大泉院とは、屋号が「不動院」と呼ばれる旧家にあった寺院です。

船渡香取神社|越谷市船渡 船渡香取神社の創建年代は不詳。船渡村には上手村と下手組があり、この香取神社は下手組の鎮守として祀られてきました。『新編武蔵風土記稿』船渡村の項には「香取社二、一は村の鎮守にて、大泉院の持、一は無量院の持」とあります。船渡香取神社の疱瘡神石祠に「願主 大泉院」と刻まれていることから、この香取神社は、『新編武蔵風土記稿』船渡村の項にある「大泉院の持」であった香取社であることが分かります。

下間久里香取神社

疱瘡神文字塔|下間久里香取神社 越谷市下間久里(しもまくり)にある下間久里香取神社の疱瘡神文字塔。造立年代は不詳。賽銭箱が置かれた木製の祠の中に祀られています。「疱瘡神」と刻まれた石祠には御幣が立てられています。

疱瘡神の社|下間久里香取神社 神社の創建時期は不明。『新編武蔵風土記稿』下間久里の項には「香取社 村の鎮守なり、開演寺の持」とあります。下間久里香取神社は、埼玉県の無形民俗文化財に指定されている獅子舞( 下間久里の獅子舞 )が有名。

小曽川久伊豆神社

石祠(疱神)|小曽川久伊豆神社 越谷市小曽川(おそがわ)にある小曽川久伊豆神社(おそがわひさいずんじんじゃ)の疱神(ほうじん)供養塔。造立年代は不詳。正面に「疱神」(ほうじん)と刻まれています。疱神とは疱瘡神(ほうそうがみ)のことと思われます。

小曽川久伊豆神社 小曽川久伊豆神社の創建年代は不詳ですが、室町時代の末期には開かれていたと伝えられています。『新編武蔵風土記稿』小曽川村の項には「久伊豆神社 當村及砂原村の鎮守とす、古へ爰(ここ)は砂原村の地内なりと云」とあります。境内では、疱神供養塔のほかに、御嶽山供養塔(文久2〈1862〉年)、金比羅権現文字塔などの石塔も見られます。

野中薬師堂

疱瘡神供養塔|野中薬師堂 野中自治会館(越谷市南荻島)隣の野中薬師堂前に置かれている疱瘡神供養塔。江戸末期・文久2(1862)年造立。(正面)疱瘡神(左側面)文久二年 戌八月吉辰(右側面)願主 ○○○○ ※○は個人名につき伏せました。

野中薬師堂|越谷市南荻島 野中薬師堂(野中の薬師)は、神明(しんめい)の薬師、大江(おおえ)りの薬師、越巻(こしまき)の薬師など、越谷近隣の「八薬師詣」(はちやくしもうで)の一宇(※)として親しまれていたことが『荻島地区石仏』平成14年度調査(平成29年3月改定)加藤幸一編に記されています。(※)宇(う)とは仏堂や神殿などの建物を数えるときに使う助数詞。

上谷稲荷神社

疱瘡神供養塔|上谷稲荷神社 上谷(うわや)稲荷神社(越谷市川柳町)社殿裏にある疱瘡神供養塔。江戸後期・天保9(1838)年造立。(正面)疱瘡神(左側面)天保九戌年十二月吉日

上谷稲荷神社|越谷市川柳町 『新編武蔵風土記稿』東方村の項に「小名 山谷村 東方村の内、山谷村と書し」とあるように、かつてこの地(上谷=現在の川柳町の一画)は「山谷村」(さんやむら)と呼ばれていました。稲荷神社の境内にある元禄8(1695)年造立の塞神改刻・青面金剛像庚申塔に「山谷村」と刻まれていることから、江戸時代の中期には、この場所は「山谷村」の名で呼ばれていたことがうかがえます。

三社大神社

疱瘡神供養塔|三社大神社 越谷市大間野町(おおまのちょう)にある三社大神社(さんしゃだいじんじゃ)の疱瘡神供養塔。江戸後期・天明8(1788)造立。(正面)不明(左側面)天明八申十一月吉日(右側面)大間野村向上手 氏子中(台石)15人の個人名。

石祠の正面には何も文字は見えませんが、地元では「疱瘡神の石」と呼ばれていたことが『出羽地区石仏』平成15年度調査・平成28年4月改定(加藤幸一編)に記されていることから、石祠の正面には「疱瘡神」と刻まれていたのかもしれません。

三社大神社|越谷市大間野町 もともとは、ここは天神社の地であったようですが、江戸前期・寛永年間には建立が確認されていた周辺の三社(久伊豆神社・稲荷社・弁天社)を明治4(1871)年に合祀して「三社大神社」と称するようになりました。境内社として、八坂神社・榛名神社・天神社が祀られています。

新型コロナウイルスと疱瘡神

江戸時代、多くの人々の命を奪ってきた疱瘡=天然痘。ワクチン(種痘)がなかった時代は、疱瘡から免れるために人々は神仏(疱瘡神)にすがりました。

そういう意味では、今、世界中で猛威をふるっている新型コロナウイルス感染症も、ワクチンや治療薬がまだ(2020年5月11日現在)見つかっていないことから、人々を恐怖と不安に陥れているその様子は、かつての疱瘡を思い起こさせます。

江戸時代の庶民が疱瘡を憎むのではなく神=疱瘡神として崇めて鎮まってもらう、という敬虔な気持ちで疱瘡に向き合ってきたその心根は、今の時代にも必要なことではないでしょうか。今回の取材では、そういう敬虔な気持ちをもって、越谷市に現存する疱瘡神の石祠に手を合わせ、新型コロナ収束を祈念しました。
 

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