さいたま市緑区にある氷川女體神社(ひかわにょたいじんじゃ)の御朱印と由緒・御祭神や境内の風景などを写真とともにご案内します。歴史は古く、第10代・崇神天皇の時代に勧請されたと伝えられ、樹齢300年を超える大木が茂る自然林の社叢は埼玉県の「ふるさとの森」にも指定されています。まずは氷川女體神社でいただいた御朱印の写真からご覧ください。
氷川女體神社の御朱印
上の写真は、2020年4月9日に参拝したときにいただいた氷川女體神社の御朱印です。御朱印の初穂料と受付場所
御朱印は社務所でいただけます。社務所の場所は拝殿を正面に見て左側。御朱印の初穂料は300円。御朱印は書き置きの場合もあります。今回は書き置きでした。氷川女體神社の由緒
氷川女體神社は、社伝によると、約2,000年前、第10代・崇神天皇の御代に出雲大社から勧進されたと伝えられている古い神社です。実際の建立年代は不詳ですが、8世紀、奈良時代(1,300年前)といわれています。現在の社殿は、江戸前期・寛文7年(1667)に建立されたもの。女體神社の「女體」は、御祭神奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)が女神であることに由来しています。御祭神
御祭神は、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)三穂津姫命(みほつひめのみこと)の三柱。クシイナダヒメは『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では櫛名田比売と表記。その子孫が大己貴命(大国主命=おおくにぬしのみこと)。大国主命の妻が三穂津姫命。※三穂津姫命は大物主神(おおものぬしのかみ)の妻とする説もあります。主な年中行事
主な年中行事――1月1日…歳旦祭(さいたんさい)/2月18日…祈年祭(きねんさい)/5月4日…祇園磐船龍神祭(ぎおんいわふねりゅうじんさい)/7月31日…名越大祓(なごしおおはらえ)/10月7日…お日待(おひまち)/10月8日…例大祭(れいたいさい)/11月23日…新穀感謝祭(しんこくかんしゃさい)=新嘗祭(にいなめさい)境内社
龍神社(りゅうじんしゃ)。氷川女體神社が鎮座する見沼(みぬま)一帯に伝わる竜伝説にちなんだ龍神様が祀られています。お社の場所は鳥居から拝殿を見て境内の右手にあります。今宮神社(いまみやじんじゃ)。場所は龍神社裏手にある自然林の一画(社殿を正面に見て右手側)にあります。
石上神社(いそがみじんじゃ)。布都御魂(ふつのみたま)布留御魂(ふるのみたま)布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)が祀られています。お社の場所は龍神社の裏手。
御獄神社(みたけじんじゃ)。国常立尊(くにとこたちのみこと)が祀られています。場所は拝殿を正面に見て左手(社務所の右手)。岩を積み上げて、霊山・御嶽山に見立てた頂上にお社が置かれています。
稲荷社(いなりしゃ)。稲・穀物・食物の神、商売繁盛の神として崇められている宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が祀られています。場所は御獄神社の裏手。
石碑
氷川女體神社の道標(みちしるべ)。元々は神社に通じる赤山街道沿いにあったもの。江戸後期・弘化2年(1845)造立。(正面)武蔵國一宮 女體宮道 神通書(左側面)本宮まで是より五町 ※5町は約550メートル(右側面)弘化二年 乙巳 二月4基の太々神楽(だいだいかぐら)記念碑。上の写真、右から「伊勢参宮 大々御神楽」(大正12年〈1923年〉造立)「伊勢大々神楽」「伊勢参宮 大々御神楽奉行 記念碑」(明治42年〈1909年〉造立)「伊勢参宮 代々御神楽祈念碑」(大正6年〈1917年〉造立)
伊勢参宮祈念碑
拝礼供養塔。江戸後期・文政13年(1830)建立。(正面)越立山 富士山 湯殿山 嶽々 坂東 秩父 西国 神社仏閣 拝礼供養塔(背面)文政十三竜集庚寅十一月穀旦 願主氏名(左側面)大山石尊大権現五拾度参 天下泰平 郷中安全
榛名山・三峯山大権現文字塔。江戸末期・文久2年(1862)造立。(正面)榛名山 三峯山 大権現(右側面)一天平定 日月清輝(左側面)文久二壬戌八月上浣(台石)宮本同気
覚明霊社・一山霊社文字塔。明治16年(1883)建立。(正面)覚明霊社 一山霊社(裏面)覚明霊神百年 一山霊神三十年 紀念碑 明治十六年八月建之 大成教会敬神講社中。※覚明霊神(かくめいれいしん)は、木曽・御嶽山を開山した行者で、木曽御嶽信仰の開祖として崇められています。
参道と境内の風景
氷川女體神社は小高い場所に鎮座しています。鳥居までは石段を上っていきます。石段の数は26段。真ん中に手すりもありますが、杖をついている方は、ちょっとたいへんかもしれません。赤く塗られた鳥居の形は明神鳥居(みょうじんとりい)。貫(ぬき)には神域を示すしめ縄が貼られ、額束(がくづか)には「武蔵國一宮 氷川女體神社」と刻まれています。
手水舎(ちょうずや)。鳥居をくぐった右手にあります。
鳥居から社殿までの参道は石畳になっています。境内は自然林の中にあり、清々しい気がただよっています。
社務所の脇に、しめ縄が張られたご神木があります。コブの形が熊の顔に見えると、テレビや SNS でも話題になりました。
社務所と社殿の間に力石(ちからいし)が置かれています。重さは70貫目(262.5キロ)。江戸時代、村の若者たちが力比べで石を持ち上げ、持ち上げた記念として、石の重さや姓名などを石に刻んで、神社に奉納する習わしがありました。力石には「奉納 七拾貫目余 四月吉祥日 大牧村 勝之助」と刻まれています。
氷川女體神社の創建は、約2,000年前、第10代崇神天皇の御代に勧請されたと伝えられていますが、現在の社殿は、江戸前期・寛文6年(1666)に、徳川幕府4代将軍家綱が、現在の埼玉県行田市にあたる忍城(おしじょう)の城主に命じて建立したもの。氷川女體神社には、工芸品や古文書など数多くの文化財が所蔵されていることから埼玉の正倉院とも呼ばれています。
拝殿の裏手にあるのが本殿。朱塗りの流れ造り。拝殿と本殿が相の間(あいのま)で結ばれた権現造りの様式です。本殿の屋根に堅魚木(かつおぎ)と呼ばれる木が4本、水平に並んで乗っています。祭神が男神の場合は堅魚木の数は奇数で、女神の場合は偶数、という俗説もあります。ちなみに氷川女體神社の主祭神であるクシイナダヒメノミコトは女神です。
社殿裏手一帯の社叢(しゃそう)は自然林になっていて、樹齢300年を超える杉の大木なども見られます。社叢は、さいたま市の「保存緑地」に指定されているほか、「氷川女體神社社叢」(ひかわにょたいじんじゃしゃそう)として、さいたま市指定の天然記念物にもなっています。
トイレ
トイレは、石段の50メートルほど先(見沼代用水西縁沿い)と、見沼氷川公園内にあります(上の写真は見沼氷川公園のトイレ)駐車場の場所
氷川女體神社には駐車場はありませんので、見沼氷川公園の駐車場を利用します。車は30台ほど駐められます。駐車料金は無料。神社周辺の道路への路上駐車は厳禁です。地図
氷川女體神社の地図は上記グーグルマップでご覧いただけます。車や電車で行くときのルート検索にも利用できます。車で行く場合、カーナビは見沼氷川公園(埼玉県さいたま市緑区大字見沼地内)に設定してください。