近津神社の富士塚と境内の石碑や石祠|埼玉県杉戸町清地

埼玉県杉戸町清地にある近津神社の歴史と御祭神をはじめ境内の風景を写真とともにご案内します。近津神社の読み方は「ちかつじんじゃ」。境内には末社として三峯神社が祀られているほか富士山を模して浅間大神を祀っている富士塚をはじめ見返りの狛犬や猿田彦庚申塔・雷電宮・金山大権現・水神宮・稲荷大明神の石碑や石洞(せきし)など多くの石仏が点在しています。

 

近津神社の歴史と御祭神

近津神社(埼玉県杉戸町) 近津神社(ちかつじんじゃ)の創建年代は不詳ですが、江戸前期・貞享(じょうきょう)元年(1684)以前といわれています。御祭神は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)経津主命(ふつぬしのみこと)岐の命(くなとのみこと)の三柱。

本殿の優美な彫刻が有名でしたが、平成13年(2001)に、不審火により本殿が彫刻もろとも全焼してしまいました。平成19年(2007)に、社殿が新築され、火災被害を受けた境内のイチョウも樹勢を回復しています。残念ながら現在の社殿には彫刻は施されていません。

境内の風景

鳥居|近津神社 鳥居前の社標に「村社近津神社」と彫られていることから近津神社が旧清地村(現在の杉戸町)の鎮守であることがわかります。参道の長さは約100メートル。参道脇には石灯籠や記念碑・石碑・板碑(いたび)などが並んでいます。板碑とは、板状の平たい石で造った供養塔(石碑)のこと。参道の左側にある建物は埼玉県で二番目に古い教会・杉戸キリスト教会です。

花塚

花塚 参道の右側に「花塚」(はなづか)と彫られた石碑があります。造立は江戸末期・寛永6年(1953)。裏面に俳句と俳人の名前が刻まれています。江戸時代、このあたり(杉戸地域)は俳句が盛んで、多くの俳人がいたことが、うかがわれます。

石碑|伊勢太々連

石碑 花塚の横に石碑が四基並んでいます。風化が進んでいて、造立年代や刻まれている文字は読み取りにくいのですが、写真上の左から三番目と四番目の石碑には「伊勢太々連」(いせだいだいれん)と彫られています。おそらく江戸後期に造立されたものと思われます。

三峯神社

三峯神社 末社として三峯神社(みつみねじんじゃ)が祀られています。

手水鉢と水神宮

手水鉢 「清水」と彫られた手水鉢(ちょうずばち)。造立年代は不詳。手水鉢の横には水神宮の石碑が置かれています。

見返り狛犬

見返り狛犬"" 近津神社の狛犬は、顔を背けていることから「見返りの狛犬」「見返り狛犬」と呼ばれています。造立は江戸末期・元治元年(1964年)。向かって左側の狛犬の台座には「太々連」(だいだいれん)、右側の狛犬の台座には「本所」(ほんじょ)と彫られています。

狛犬|阿形 向かって左側の狛犬は口を開いている阿形(あぎょう)

狛犬|吽形 向かって右側の狛犬は口を結んでいる吽形(うんぎょう)

社殿

社殿 平成19年(2007)に新築された社殿。彫刻が美しかったかつての社殿は火災で全焼してしまいましたが、地元の方々の努力によって再建された社殿は、今でも地元(杉戸町清地)の鎮守として親しまれています。

 

富士塚

近津神社の境内で目を引くのが富士塚(ふじづか)です。富士塚とは、江戸時代、富士山信仰のために富士山に見立てて造られた塚のこと。富士塚に登拝(とはい)することで、実際に富士山で参拝したのと同じご利益があるとされました。
浅間大神
石碑|浅間大神 富士塚の手間に浅間大神(あさまのおおかみ)と彫られた石碑が配されています。浅間大神は富士山を神格化した神様です。この石碑は、うしろの山(富士塚)は浅間大神を祀ってあることを伝えています。
小御嶽社登拝記念碑
小御嶽社登拝記念碑 こちら(上の写真)は、小御嶽社登拝記念碑(こみたけじんじゃとはいきねんひ)。小御嶽神社は、平安前期に富士山五合目に建立された社で、富士信仰の中心の大神として古来より崇められています。

この石碑は、小御嶽社に登拝(とはい)したことを記念して建てられたもの。造立は江戸末期・万延元年(1860)。石碑には「北口 登山 御頂上 小御嶽社 大願成就」などの文字と、小御嶽山(小御嶽社)に登拝した人たちの名前が刻まれていて、「世話人、深井浅右衛門・濵田六左衛門、幸手宿 上野屋庄兵衛、杉戸宿 渡邊長左衛門・宮物屋源七妻やめ」などの人名が読み取れます。
登山第三拾三度大願成就
三十三回富士山登拝記念碑 こちらの(上の写真)の石碑には「登山第三拾三度大願成就」(とざん だいさんじゅうさんど だいがんじょうじゅ)と彫られています。造立は江戸末期・万延元年(1860)。富士山に33回登拝した記念に建てられたもの。石碑には、世話人と発願人(ほつがんにん)の名前も刻まれています。
御嶽石尊大権現
小御嶽石尊大権現 富士塚の五合目付近には「小御嶽石尊大権現」(こみたけせきそんだいごんげん)と彫られた文字碑があります。中央に「小御嶽石尊大権現」、左下に「小天狗」、右下に「大天狗」と刻まれています。天狗は小御嶽神社の神使(しんし=神の使い)とされ、小御嶽神社が祀られている富士山の五合目付近は「天狗の庭」とも呼ばれています。
頂上
浅間大神 富士塚の頂上には浅間大神(あさまのおおかみ)が祀られています。浅間大神は富士山を神格化した神様ですが、浅間大社(富士山本宮浅間大社)の主祭神である花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)を指す場合もあります。
庚申文字塔
庚申塔 富士塚の斜面には「庚申」(こうしん)と彫られた石碑(庚申文字塔)が随所に埋め込まれています。合計11基。どうしてそんなにあるのか? 富士塚にある二基の記念碑(小御嶽社登拝記念碑と登山第三拾三度大願成就記念碑)がそのことを教えてくれています。

庚申文字塔 どちらの記念碑も造立年は江戸末期・万延元年(1860)。この年の干支は庚申(かのえさる)。万延元年は60年に一度の庚申の年で、富士の御縁年(ごえんねん)=庚申ご縁年にあたるので(※)、それを記念して「庚申」と刻まれた石碑が富士塚の至るところに置かれているわけです。

※富士山は紀元前301年の庚申(かのえさる)の年に一夜にして出現したという伝説があり、60年に一度の庚申の年(御縁年)に富士山に登ると、33回分の登山に匹敵するご利益があると伝えられています。

庚申供養塔・石仏・石祠・石碑

石碑 富士塚の横に八基の石碑がまとめられています。

庚申供養塔 左側の大きな三基は、猿田彦大神(さるたひこのかみ)石碑。左端の石碑の文字は「猿田彦之神」。左から二番目は宝珠塔(供養塔)。正面の文字は「猿田彦大神」右側面は「庚申供養塔」。江戸中期・享保年間造立。左から三番目は正面に「猿田彦之神」と彫られた供養塔。台座には「清地」「講中」とあります。江戸後期・天保六年(1835)建立

石祠 右側には小さな石祠(せきし)と石仏が配されています。前方左は、金山大権現(かなやまだいごんげん)江戸中期・寛政二年(1790年)造立。隣は地蔵菩薩立像。後方左は雷電宮(らいでんぐう)寛政五年(1793年)造立。後方中央は水神宮。後方右は稲荷大明神。石碑の前に小さな狐の石像が置かれています。

記念碑 石碑は別の場所でも見られます。上の写真は、木の下に並べられた三基の石碑。左は「正一位 稲荷大明神」。真ん中は文字碑。右は、境内整備の記念碑。昭和29年(1954)建立。奉仕した人の名前が刻まれています。

トイレと駐車場

駐車スペース トイレはありません。専用の駐車場は設けられていませんが、参道の右側に車を駐められるスペースがあります(上の写真)。鳥居からは車で参道に入ることはできません。

杉戸の名所と旧跡

富士浅間神社の富士塚|埼玉県杉戸町杉戸 杉戸町には近津神社のほかに富士浅間神社にも富士塚があります(上の写真)。また杉戸町の日光街道沿いの杉戸宿(すぎとじゅく)には、さまざまな名所や旧跡があります。杉戸宿案内人の会が主催する「杉戸宿めぐり」に参加した街歩きツアーの様子を下記の記事でご紹介しています。ぜひご覧ください。
杉戸の名所・旧跡を歩いてきました。

近津神社の住所とアクセス

近津神社の住所は 〒340-0025 埼玉県北葛飾郡杉戸町清地1-1-29( 地図を表示 )。住所の読みは「さいたまけん きたかつしかぐん すぎとまち せいじ」。車でのアクセスは、圏央道(首都圏中央連絡自動車道)幸手インターチェンジから約10分。公共交通機関では、東武伊勢崎線・東武動物公園駅東口から徒歩約10分です。
 

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