杉戸宿めぐりに参加。杉戸の名所・旧跡を歩いてきました。

2019年10月16日・水曜日。杉戸宿(すぎとじゅく)案内人の会が主催する「杉戸宿めぐり」に参加しました。中央公民館(旧杉戸小学校跡)を起点に、日光街道・みなみがわ散策道・大落古利根川沿いを歩き、東福寺・近津神社・神明神社・問屋場跡・本陣跡・高札場・宝性院・富士浅間神社・愛宕神社など、杉戸の歴史と観光名所を巡ってきました。

 

杉戸宿めぐり|2019年10月16日

杉戸宿めぐり(2019年10月16日) 今回、私が参加したのは「杉戸宿めぐり」(主催・杉戸宿案内人の会)。参加費は200円(保険代など)。巡った箇所は19箇所。ガイドさんとともに約2時間半かけて歩いた杉戸宿巡りの様子を写真を交えてお伝えします。

集合・出発|杉戸町中央公民館

杉戸町中央公民館 集合時間は午前9時30分。集合場所は杉戸町中央公民館(埼玉県杉戸町杉戸3-9-5)。参加人数は二人。ガイドさんは杉戸宿案内人(杉戸宿観光案内ボランティアガイド)二名。ガイドさんの自己紹介のあと杉戸宿めぐりスタート
杉戸小学校跡 この場所には、昭和42年(1967年)まで杉戸小学校がありました(杉戸小学校跡)。小学校の移転に伴い、跡地に中央公民館が建てられました。小学校の校庭にあったヒマラヤスギなど一部の木々は、現在も隣接している中央児童公園に残っていて、当時の面影がしのばれます。上の写真はあえて白黒で撮影してみました。

大落古利根川

大落古利根川|杉戸町清地1丁目付近 中央公民館を出て100メートルほど歩くと、大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)左岸に出ました。左折して上流に向かって遊歩道を進みます。

杉戸宿まち歩き案内板|流灯ふれあい館

杉戸宿まち歩き案内板 9時35分。流灯ふれあい館(杉戸町清地1-9-18)前に到着。建物の前に、杉戸宿まちあるき案内板が立てられています。ガイドさんによる杉戸宿の歴史についての解説。毎年8月上旬に行なわれる古利根川流灯(りゅうとう)まつりの写真も見せてくださいました。

東福寺

東福寺|山門 9時45分。真言宗智山派のお寺・東福寺(とうふくじ)を訪れました。住所は埼玉県杉戸町清地1-9-3。住所の読みは「さいたまけん すぎとまち せいじ」。江戸初期・元和9年(1623年)創建と伝えられている古刹(こさつ)です。

東福寺|本堂 本堂には不動明王や阿弥陀如来が祀られています。明治初期に起こった自由民権運動では杉戸の活動拠点になったり、明治22年(1889年)に市制及町村制が施行されたときには、東福寺に最初の町役場が置かれました。

東福寺|参道 東福寺の参道は、かつての杉戸宿と清地村(せいじむら)の境になっています。東福寺の参道を通って次の目的地・南側用水路(みなみがわ散策路)に向かいます。

土橋跡|橋本屋

土橋跡|橋本屋 東福寺の参道を30メートルほど進むと旧日光街道に出ますが、かつてこの場所には、南側用水路に架かる土橋がありました。上の写真の横断歩道のあたりです。参道と旧日光街道が交わる角地に「橋本屋」という蕎麦屋がありますが、この「橋本」(はしもと)という屋号の由来は、橋の本(もと)にある屋(みせ)、とも伝えられているそうです。

南側用水路|みなみがわ散策道

南側用水路|みなみがわ散策道 江戸時代の初期に、農業用水を供給するために杉戸町に南側用水路(みなみがわようすいろ)が設けられました。南側用水路は昭和63年(1988年)に役割を終えましたが、跡地を整備して、約9.5キロの遊歩道(みなみがわ散策道)になりました。

高札場|復元

高札場|復元 9時55分。杉戸宿高札場(すぎとじゅくこうさつば)に到着。場所は、JA埼玉みずほ杉戸中央支店駐車場脇。旧日光街道沿いです。高札場とは幕府の命令や法令などを知らせる掲示板が立てられた場所のこと。

もともとは杉戸宿と関宿道との分岐点にありました。江戸後期・天保14年(1843年)に日光街道沿いの様子を記した『日光道中宿村大概帳』(にっこうどうちゅうしゅくそんたいがいちょう)の資料に基づき、杉戸町と日本工業大学が協力して、ほぼ原寸大で、この場所に復元されました。

近津神社

近津神社|社殿と境内 10時。近津神社(ちかつじんじゃ)へ。埼玉県杉戸町清地1-1-29。創建年代は不詳。御祭神は剣の神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)ほか三柱。平成13年(2001年)に不審火により全焼しましたが、その後、再建。鎮守の杜も整備されました。

近津神社|狛犬 近津神社の狛犬は特異な姿勢をしています。顔を背けていることから「見返りの狛犬」として知られています。造立は江戸末期・元治元年(1964年)。狛犬は火災を免れました。

近津神社|富士塚 境内や参道には三峯神社など末社のほか、富士塚や江戸時代に造立された庚申塔など数多くの石碑や石仏も見られます(上の写真は富士塚)

杉戸キリスト教会

杉戸キリスト教会 近津神社の参道に隣接して杉戸キリスト教会があります。昭和28年(1953)創立。明治18年(1885)に設けられた清地会堂を母体とし、明治11年(1878年)に創立された和戸教会に次いで埼玉県で二番目に古い教会です。埼玉県杉戸町清地1-1-30

明治・大正期にかけて活動した日本を代表するのキリスト教指導者・内村鑑三(うちらむらかんぞう)が同教会で講演をしたという記録も残っています。昭和29年(1954)から平成8年(1996)までは幼稚園(杉戸愛児園)も併設されていました。

日光街道沿いの街並み|扇屋・巴湯

日光街道|杉戸宿・新町エリア 日光街道(杉戸宿・新町エリア)の街並みです。

扇屋 扇屋(おうぎや)。埼玉県杉戸町杉戸3-6-2。現在は用品店を営んでいますが、江戸時代は旅籠(はたご)でした。旅籠当時の屋号「扇屋」がそのまま使われています。

巴湯 こちらは正時代創業の銭湯・巴湯(ともえゆ)。平成30年(2018)3月廃業。レトロな銭湯として、テレビ東京『出没!アド街ック天国』(2013年8月31日)でも紹介されました。昭和48年(1973)にプロレスの興行で杉戸町を訪れたジャイアント馬場とザ・デストロイヤーさんたち20名近くのレスラーが巴湯に入浴したときに書いてもらったサインが脱衣所に飾られていたそうです。

神明神社

神明神社|鳥居と社殿 10時15分。神明神社(しんめいじんじゃ)着。埼玉県杉戸町2-12-26。杉戸宿新町北側の鎮守で「神明様」(しんめいさま)の名で親しまれています。八坂神社が合祀されていて、毎年7月には「天王様」(てんのうさま)と呼ばれる八坂祭りが行なわれます。

神明神社|合祀社と神輿庫 境内には、神輿(みこし)を納める神輿庫(しんよこ)と、白山大権現(はくさんだいごんげん)天満宮(てんまんぐう)稲荷神社(いなりじんじゃ)が合祀されている末社があります。上の写真の左側(瓦屋根)が神輿庫、右側の赤い屋根が末社。

旅籠屋 釘屋跡

旅籠屋|釘屋跡 10時25分。旅籠屋(はたごや)釘屋跡(くぎやあと)に到着。埼玉県杉戸町杉戸2-12-26。現在は材木店(篠原材木店)。特別に許可を得て敷地内を見学させていただきました。うなぎの寝床と称される間口が狭くて奥行きの深い間取りが旅籠屋当時の面影を残しています。

旅籠屋時代の釘屋(絵) ガイドさんが旅籠時代の釘屋が描かれた絵のコピーを見せてくださいました(上の写真)。また、釘屋は、江戸時代後期の戯作者・十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の滑稽本『奥羽一覧道中膝栗毛』(おうういちらんどうちゅうひざくりげ)の中で登場し、弥次さんと喜多さん一行が宿泊した様子が描かれています。詳細に描写されていることから十返舎一九が実際に釘屋に宿泊したのではないかといわれているそうです。

蔵 敷地内の蔵は内装をリニューアルし、レンタルギャラリーなどの催しで使われています。

伊那稲荷神社

伊那稲荷神社 10時30分。旅籠屋釘屋跡(篠原材木店)の裏手にある伊那稲荷神社(いないなりじんじゃ)へ、。埼玉県杉戸町杉戸2-13。江戸時代、問屋場(といやば)の裏手にあったことから問屋場稲荷(といやばいなり)とも呼ばれています。

鰐口 当時、宿場で働く芸者や遊女など花柳界(かりゅうかい)の女性から深く信仰され、天保12年(1841年・江戸後期)に奉納された拝殿の鰐口(わにぐち)には、杉戸宿の下町で働く20名の女性世話人の名が刻印されています。きよ・せん・みよ・たみ・くま・きく・とみ・いつ…などの名が見られます。

 

問屋場跡

問屋場跡 10時35分。伊那稲荷神社の裏手にある問屋場跡(といやばあと)に到着。問屋場とは、江戸時代、街道の宿場で人が乗る馬や駕籠(かご)の手配などを行なった所です。現在、問屋場の跡地は、三井住友信託銀行・杉戸支店になっています。住所は埼玉県杉戸町杉戸2-13-12 。日光街道・本陣跡地前信号の角地です。

明治天皇御小休所阯碑

明治天皇御小休所阯碑 問屋場跡(現・三井住友信託銀行杉戸支店)の脇にある石碑は、明治天皇御小休所阯碑(めいじてんのうごしょうきゅうじょしひ)。明治9年(1876)6月3日に、東北巡幸に出向いた明治天皇が、当時、県区務所が置かれていたこの場所で、休憩をとったことを記す石碑です。ちなみに明治天皇がこの場所で休憩した時間は5分程度だったそうです。

虎屋の松|漢方医 虎屋跡

虎屋の松 江戸時代、杉戸宿の漢方医として名を馳せた虎屋善蔵(とらやぜんぞう)の診療所「虎屋」跡地。敷地には「虎屋の松」と呼ばれるりっぱな松が植えられています。現在、虎屋善蔵の子孫にある当主が「とらや薬局」を営んでいて「虎屋」の屋号を今に伝えています。とらや薬局の場所は、日光街道をはさんで虎屋の松の斜め前(埼玉県杉戸町杉戸2-14-9)にあります。

本陣跡|長瀬清兵衛邸

本陣跡|長瀬清兵衛邸 10時45分。本陣跡(長瀬清兵衛邸=ながせせいべえてい)に到着。本陣(ほんじん)とは、江戸時代、参勤交代などで大名や幕府の役人などが泊まった施設のこと。本陣を挟む形で両脇に脇本陣(わきほんじん)が置かれました。

重厚な門がまえが本陣の格式の高さを伝えています。本陣と脇本陣は現在は私有地になっていて、当時の様子が残されているのは本陣の門だけになっています。本陣跡は個人宅のため一般公開はしていませんが、特別の許可を得て敷地内で見学をさせていただけました。

道標|関宿方面~粕壁方面

道標 日光街道と県道26号線(境杉戸線)が交わる角地に「関宿方面」「粕壁方面」と彫られた道標(どうひょう)が置かれていました。

宿場町の面影を残す古民家と邸宅

渡辺金物店跡 杉戸宿(日光街道沿い)には宿場町の面影を残す古民家や蔵が今も残っています。まずは渡辺金物店跡(わたなべかなものてんあと)。平成になって金物店の看板は降ろしましたが、月に1回、クラブ茶屋という地域交流会の場として、活用されています。
角穀跡|小島定右衛門邸 こちら(上の写真)は、米穀問屋・角穀跡(かどこくあと)小島定右衛門邸(こじまさだえもんてい)。埼玉県杉戸町杉戸1-5-11。屋号(角穀)由来は、通りの「角」にある米「穀」問屋、からきています。母屋と蔵は当時のまま残されています。現在は個人宅になっていますので一般公開はされていません。

渡辺甚左衛門邸 現在の埼玉りそな銀行の前身である杉戸銀行の設立をはじめ明治以降の杉戸発展に大きく貢献した渡辺甚左衛門(わたなべじざえもん)の邸宅です(渡辺甚左衛門邸)。りっぱな門構えの奥には邸宅と蔵が見えます。

宝性院|杉戸不動尊

宝性院 11時10分。トイレ休憩地点でもある宝性院(ほうしょういん)に着きました。埼玉県杉戸町杉戸1-5-6。真言宗智山派のお寺で、幸手(さって)城主だった一色義直(いっしきよしなお)により室町時代の永禄3年(1560年)に開山。安産と子どもの成長を願って安産不動明王を祀ったのが始まりといわれています。明治時代には役所や小学校(杉戸学校)が置かれたこともありました。

馬頭観音 境内には日光街道最大級といわれる馬頭観音の石塔があります。江戸後期・文化7年(1817)造立。日光道中の道しるべとして立てられました。

住職 寺住職が出迎えてくださり、お茶菓子と果物でもてなしていただきました。住職からは宝性寺の由緒や杉戸宿の歴史などをうかがうこともできました。

松 境内には立派な松がたくさん植えられていますが、一風変わったこちらの松(上の写真)は、檀家さんが寄贈した盆栽の松を庭に植えたところ首を大きく伸ばした亀のような姿になったとのこと。座っているラクダやキリンにも見えます。首に見える部分をどんどん伸ばしていけば竜のような姿になって「宝性院の竜の松」と呼ばれるようになるかもしれません。

河原橋|大落古利根川

河原橋|大落古利根川 11時35分。宝性院をあとにして、大落古利根川の左岸を下流に向かって進みます。右前方に見える橋は河原橋(かわらばし)。橋がなかった昔は、この場所に「河原の渡し」と呼ばれる渡し場があったそうです。

富士浅間神社

富士浅間神社 11時40分。富士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)に到着。埼玉県杉戸町杉戸4-10。大落古利根川のたもとに鎮座していることから「河原の浅間様」(かわらのせんげんさま)の名で親しまれています。境内には大きな富士塚があり、富士山の山開きに併せて毎年7月1日には、子どものすこやかな成長を願う「初山参り」(はつやままいり)が行なわれます。

富士塚頂上からの眺望 富士塚の高さは5メートル。上の写真は頂上からの景色です。前方を流れるのは大落古利根川。昔はこの場所から富士山が望めたそうです。

芭蕉の句碑

芭蕉の句碑 塚の麓には松尾芭蕉の俳句が刻まれた自然石が埋め込まれています(芭蕉の句碑)。彫られている句は「八九間空で雨ふる柳哉」(はっくけん そらであめふる やなぎかな)。「はせ越」(はせを=芭蕉)の俳号も刻まれています。

厳島神社

厳島神社 富士浅間神社の敷地内には厳島神社(いつくしまじんじゃ)と金比羅宮(こんぴらぐう)が合祀されています。上の写真は厳島神社。弁天様の名で親しまれている弁財天像が祀られています。女性の守り神として杉戸宿で働く女性から深く信仰されてきました。

金比羅宮

金比羅宮 こちら(上の写真)は金比羅宮。こんぴらさま。水上安全を司る神様です。町の縦横を河川や水路がめぐっている杉戸を河畔で見守ってきました。拝殿の扉には、水を司る竜神(水神)の彫刻が施されています。

稲荷神社

稲荷神社 富士浅間神社に隣接して稲荷神社(いなりじんじゃ)があります。おいなりさまは商売繁盛の神様です。木造の朱塗りの鳥居は、円柱の上部に台輪(だいわ)がつく台輪鳥居(だいわとりい)と呼ばれるもの。稲荷神社の総本社・伏見稲荷大社(京都府伏見区)の鳥居と同じ形状です。

南側用水路跡

南側用水路跡 11時50分。稲荷神社をあとに、南側用水路跡の道を歩いて、最後の散策地点・愛宕神社(あたごじんじゃ)へ向かいます。

愛宕神社

11時55分。愛宕神社に到着。埼玉県杉戸町杉戸4-4-6。杉戸宿の鎮守として祀られています。建立は江戸前期・宝永3年(1705)。御祭神は火の神・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)。大火の経験もある杉戸宿では、火伏(ひぷせ)の神様として深く信仰されてきました。

大銀杏 境内(拝殿脇)には、樹齢300年以上とも伝えられる大銀杏(おおいちょう)があります。災害の影響で幹の一部が燃えてしまっていますが、地元の人たちの努力によって、少しずつ樹勢を取り戻してきています。

帰着・解散|杉戸町中央公民館

杉戸町中央公民館 正午過ぎ(12時10分)に杉戸町中央公民館に帰着。ガイドさんのあいさつのあと解散。歩いた距離は約5キロ。歩数7,000歩。歩いた時間は2時間半。「杉戸宿めぐり」は、ガイドさんのうんちくある解説で、なごやかな雰囲気の中、楽しい時間を過ごせました。

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杉戸宿めぐりのご案内

杉戸宿案内人主催イベント

埼玉県杉戸町では、杉戸宿案内人の会が主催する「宿場めぐり」と「御成街道めぐり」が定期的に行なわれています。上記ホームページ(杉戸宿めぐりのご案内)参照。問い合わせや申し込みについては杉戸町観光協会(杉戸宿案内人の会事務局)まで。電話番号は 070-4455-5449 。受付時間は午前9時から午後3時。水曜日と木曜日はお休みです。
 

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