「猿田彦大神」文字塔
明治17年(1884)に建立された「猿田彦大神」文字塔。石塔は駒型。石碑の最頂部が破損しています。主銘は「猿田彦大神」。脇銘は「当村 祠合□□□講義大塚戸村」とありますが、□□□の部分は劣化により読みとれません。裏面には「明治十七年甲申年十二月一四日建立」とあり、その下に八人の名前が刻まれています。糸賀姓四人、横島姓四人。うち女性三人。
道標付き二十三夜塔
道標付き二十三夜塔。江戸後期・文化13年(1816)造立。石塔は山状角柱型。主銘は「二十三夜供養塔」。脇銘は「文化十三」「子□」「□吉日」(※□の部分は読めません)。左下の脇銘には「枩山坪」「講中」とあります。「枩」は「松」の異字体なので、「松山坪」となりますが意味は不明。地名もしくは集団の名前でしょうか。
この二十三夜塔は道標(みちしるべ)も兼ねていて、左側面には「南 もりや」(守谷)、右側面には「北 岩井」とあります。この地の南は守谷で、北は岩井なので、この石塔は、このあたりの路傍または寺社の入口などにあったものと思われます。
この二十三夜塔は道標(みちしるべ)も兼ねていて、左側面には「南 もりや」(守谷)、右側面には「北 岩井」とあります。この地の南は守谷で、北は岩井なので、この石塔は、このあたりの路傍または寺社の入口などにあったものと思われます。
道祖神
江戸中期・元禄12年(1699)の道祖神文字塔。石塔は板碑型。主銘は「奉造立道祖神」。脇銘は「元禄十二年」「大塚戸村」「卯 十月 吉日」「開眼□□」とあります。「開眼□□」の□□の部分は読みとれません。
巡拝塔
江戸中期・宝暦9年(1759)の巡拝塔。石塔は箱型。主銘に「奉供養 四国 西国 坂東 秩父」とあることから、四国八十八所・西国三十三所・坂東三十三所・秩父三十四所を巡礼してきた人たちが記念に建てた巡拝塔です。頂部に聖観音を表わす梵字「サ」。その下に「奉供養 四国 西国 坂東 秩父 為二世安楽」と刻まれています。脇銘は「宝暦九年」「九月吉日」。そのほか「施主」という文字が確認できますが、劣化が進んでいて名前などは確認できません。
辨財天
「辨財天」(弁財天)と彫られている石祠。破損部分が多く年代は不詳。右側面に「□□村」と村名があり、寄進者二名の名前(飯泉常造・花田與作)が刻まれています。
日待塔
江戸中期・元禄7年(1694)の日待塔。板碑型。上部に月雲と日雲を配し、中央に「大日」、その下に蓮華(蓮の花)が刻まれています。「大日」は大日如来。脇銘は「下総國北相馬郡菅生村」「開眼聖者 文殊院 舜海」「元禄七甲戌天今月吉日」のほかに「信心□□□□□□□」。「信心」の下の□の部分は二人の人名のようにも見えます。
日待供養塔
江戸後期・文化7年(1810)の文字塔。駒型。上部に「月讀」と「日讀」が配されているので、日待供養塔ではないかと思われます。主銘は「□本□神」。脇銘は「文化七午年」「九月吉祥日」「□講」「伯御殿下○田栄太大明□」。○はさんずいに安。欠損部分が多いので判読は困難。
水神宮
江戸後期・寛政9年(1797)の「水神宮」文字塔。石塔は祠型。正面に「水神宮」と刻まれています。左側面の脇銘は「寛政九丁巳五月吉日」。右側面は劣化が進んでいて「大塚戸村」という文字だけが確認できます。
諏訪大明神
江戸末期・慶応2年(1866)の「諏訪大明神」文字塔。石塔は円頭角柱型。正面の上部に梵字・バン、その下に「諏訪大明神」と刻まれています。左側面は「慶應二寅七月廿三日」、右側面には「願主 横島傳兵衛 惣世話人中」「當山現住職卓壽代」とあります。「当山住職」の銘があるので、もともとはどこかのお寺にあったものと思われます。
天神像塔
石祠に座像が浮き彫りされています。顔の部分が破損していて、ご神体は確認できませんが、おそらく天神像(※5)だと思われます。造立は江戸後期・弘化2年(1845)。劣化がひどいので銘文は左側面の「弘化二年乙巳」という文字が確認できる程度。
※5 庚申懇話会編『日本石仏事典第二版』昭和55年10月20日(雄山閣)「天神塔」の項に「埼玉県春日部市、越谷市とその周辺には、石祠に梅の花を配した菅公像を彫りつけたものが点在する」とあり、埼玉県春日部市の東西寺にある天保9年の天神像塔の写真が掲載されていますが、その天神像塔と、この石祠に彫られている像は、ほとんど同じ姿をしています。
日光大権現・雷電宮
縦に二分された室の内面に「日光大権現」「雷電宮」と刻まれた江戸中期・明和8年(1771)の石祠。左側面に「明和八卯八月吉日」、右側面に「普光寺住□法□□」「大塚戸村」「横嶋十左衛門」とあります。
木曾御嶽講碑
自然石の中央に「御嶽山大神」、その右側に「八海山大神」、左側に「三笠山大神」と、御獄三座神の神号を刻んだ明治19年(1886)の木曾御嶽講碑(きそおんたけこうひ)。裏面に「明治十九年」とあり、そのほかの銘は見られません。
稲荷大明神
木曾御嶽講碑の前にある小さな「稲荷大明神」文字塔。石塔は駒型。正面に「稲荷大明神」と刻まれています。そのほかの文字は見あたらないので造立年代や建立者などは不詳。
お稲荷様を祀った石祠
お稲荷様を祀った石祠が三基あります。建立年代や寄進者などが確認できる銘はありません。神社の末社として、または屋敷神として祀られていたものと思われます。
記念碑|大祓辞一萬度修行
自然石に「大祓辞一萬度修行」と刻まれた記念碑。明治13年(1880)造立。「大祓」(大祓行法)と呼ばれる修行を一万回やり終えたことを記念して建てられたもの。主銘は「大祓辭一萬度修行」。右の脇銘は「當邑 長谷川金兵衛」「明治十三年三月十三日」、左の脇銘には「茨城縣々社阿彌神社祠官兼權中講義大手惣彦書」「當社祠掌兼訓導大塚昇」とあります。
伊勢四国参拝記念碑
一言主神社の地元・大塚戸町にある伊勢講の講員たちが、お伊勢参りと四国への参拝を果たしたことを記念して昭和54年(1979)に建てた参拝記念碑。石碑の頭頂部に横書きで「一言主神社」と彫られ、右端に「大塚戸町伊勢講伊勢四国参拝記念碑」「昭和五十四年二月二十三日」とあり、発起人・世話人・会計・観光担当者及び参加者あわせて130人の氏名が七段にわたって刻まれています。左下に「山田町 鈴木石材店刻」あります。
句碑
自然石に、俳句が刻まれた石版が埋め込まれている句碑。裏面には「昭和四十七年十一月十三日」「叶大願 友常耕」「西茨城郡岩瀬町」と刻まれています。
年代不詳の石塔と石祠
そのほか年代やご神体が不詳の石塔と石祠が八基あります。どれも劣化や破損のために銘はほとんど確認できません。上の写真の笠付型石碑は、かろうじて「文政」という文字が確認できるので、江戸後期・文政年間(1818年~1831年)に造立されたものと思われます。
参拝情報
一言主神社の住所は 〒303-0045 茨城県常総市大塚戸町875( 地図 )。電話番号は 0297-27-0659 。アクセスは、車だと、常磐自動車道・谷和原(やわら)インターチェンジから約15分。無料大駐車場完備。電車の場合は、つくばエクスプレスの守谷駅・中央西口からタクシーで約20分。または関東鉄道常総線の水海道駅(みつかいどうえき)からタクシーで約15分です。
御朱印
御朱印の受付は社務所。御朱印帳も販売しています。