越谷市・日光街道沿いの史跡を巡りました|蒲生~南越谷

2019年10月24日・木曜日。越谷観光協が主催する街歩きイベント「観光ぷらっとこしがや」に参加。東武伊勢崎線の新田駅東口を起点に、綾瀬川に架かる槐戸橋(さいかちどばし)・藤助河岸跡・蒲生の一里塚・蒲生茶屋通り・ぎょうだいさま・清蔵院の山門・明治天皇田植御覧の処碑・南越谷阿波踊り由来碑など、埼玉県越谷市・日光街道沿い蒲生・南越谷地区の史跡を巡ってきました。

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観光ぶらっとこしがや|2019年10月24日

観光ぶらっとこしがや(2019年10月24日) 今回、私が参加したのは「観光ぶらっとこしがや~日光街道を歩く」。参加費は300円(保険代など)。巡った場所は10箇所。越谷観光協会のガイドさんとともに歩いた約4キロ・2時間の街歩きの様子を写真を交えてお伝えします。

集合・出発|新田駅東口

新田駅東口 集合場所は東武伊勢崎線・新田駅東口。集合時間は午前9時20分。受付担当者に名前を確認。参加費300円を払って、班名の書かれた名札と資料をいただきました。

新田駅東口 参加人数は48人。16人ずつ3班に分かれ、各班ごとにガイドさんとアシスタントが付きました。私は2班。ガイドさんは越谷市観光協会のボランティアガイド。班ごとにガイドさんの紹介が行なわれ、9時30分、スタート

槐戸橋

槐戸橋 9時35分。最初に向かったのは綾瀬川に架かる槐戸橋(さいかちどばし)。橋のたもとにある石造の照明灯にはカブト虫のオブジェが付いています。綾瀬川右岸側は雌のカブト虫、左岸側は雄のカブト虫。上の写真は雌のカブト虫のオブジェです。

カブト虫のオブジェ|槐戸橋 昔は、この綾瀬川周辺には、サイカチ(エンジュ)の木が生い茂っていて、サイカチの樹液を吸うカブト虫がたくさん生息していたそうです。このあたりでは、カブトムシのことを「サイカチ虫」と呼んでいたので、それにちなんで、カブトムシのオブジェが造られました。ちなみに昔はこのあたり(綾瀬川の左岸周辺)は槐戸村(さいかちどむら)という地名でした(現在の草加市八幡町)

槐戸橋から綾瀬川下流を望む 上の写真は槐戸橋(さいかちどばし)から綾瀬川上流を望んだ景色です。正面前方の橋は愛宕橋(あたごばし)。綾瀬川右岸沿いの道は旧日光街道。愛宕橋手前(綾瀬川左岸)に藤助河岸跡(とうすけかしあと)が見えます。ちなみに、この槐戸橋を通っているのは、そうか公園通りです。

綾瀬川

綾瀬川 槐戸橋(さいかちどばし)を渡って綾瀬川の左岸沿いを上流に向かって進みます。

藤助河岸跡

藤助河岸跡|案内板 9時45分。藤助河岸跡(とうすけがしあと)に到着。江戸中期・元禄(げんろく)時代ごろに造られた船着場=河岸(かし)で、河岸の舟問屋を営んでいた高橋藤助(たかはしとうすけん)の名前をとって藤助河岸と呼ばれていました。現在の木造の建物(上の写真)は、当時の船荷(ふなに)の積み降ろし小屋を復元したものです。

藤助河岸|案内図 ガイドさんが、当時、河岸場のあった場所を描いた図を見せてくれました。藤助河岸は、綾瀬川と出羽堀が合流する地点(出羽堀の両岸)にあったそうです。

藤助河岸跡|綾瀬川左岸 河岸場跡(綾瀬川・出羽堀合流地点の左岸側)に立ってみました。藤助河岸は、江戸から明治にかけて繁栄していましたが、大正9年に東武鉄道が開通したことにより、舟運(ふなうん)は衰退。昭和初期に役割を終えました。

藤助酒店

藤助酒店 藤助河岸跡の前に、歴史を感じる木造二階建てのお店があります。埼玉県越谷市蒲生愛宕町12-4。高橋藤助の子孫である高橋家が営んでいる酒屋で、藤助酒店(とうすけさけてん)の屋号で知られています。

綾瀬川と出羽堀の合流地点

綾瀬川と出羽堀の合流地点 綾瀬川と出羽堀の合流地点です。手前が出羽堀(でわぼり)で向こう側が綾瀬川。出羽堀と綾瀬川に架かっているのは愛宕橋(あたごばし)です。ちょうどこのあたりに藤助河岸がありました。

蒲生の一里塚

蒲生の一里塚 続いて向かったのは蒲生の一里塚(がもうのいちりづか)。出羽堀が綾瀬川と合流する手前(出羽堀左岸側)にあります。越谷市蒲生愛宕町11-34。一里塚とは、街道沿いに一里ごとに設置された塚で、塚の上に樹木を植えて、道のりの目標や人馬の休息場として用いられました。

蒲生の一里塚は日本橋から五番目、五里目(40キロ)の地点にあたります。蒲生の一里塚は、埼玉県内の日光街道筋に現存している唯一の一里塚で、埼玉県の史跡にも指定されています。

愛宕神社|蒲生の一里塚 塚の上に祀られているのは愛宕神社(あたごじんじゃ)です。

一里塚の下(遊歩道脇)には、成田山供養塔・十三仏供養塔・不動明王坐像・六地蔵菩薩立像のほか「是より八條へ壱リ」(これより八條へ一里)「流山へ二里」(ながれやまへ二里)と刻また道標(どうひょう)が並んでいます。

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蒲生茶屋通り

蒲生茶屋通り 9時55分。蒲生の一里塚をあとに、綾瀬川と出羽堀の間を通る蒲生茶屋通り(がもうちゃやどおり)を歩きます。上の写真の右側は出羽堀、左側は綾瀬川。

蒲生茶屋通り 江戸時代、蒲生の一里塚から蒲生本町交差点に至るまでの旧日光街道は、茶屋通りと呼ばれ、街道沿いには多くの茶屋が軒を連ねていました。藤助河岸や一里塚が近いこともあって、当時は多くの人でにぎわっていたそうです。ガイドさんが、当時の茶屋通り周辺が描かれている絵図を見せてくれました。

蒲生茶屋通りの街並み

蒲生茶屋通りの街並み 蒲生茶屋通りを蒲生本町交差点方面に向かって進みます。上の写真は越谷市蒲生1丁目付近。蒲生郵便局を過ぎて100メートルほど先のあたりです。

不動道の分かれ道

大相模不動尊への道標 10時10分。茶屋通りのT字路になっている曲がり角に二基の石塔が並んでいる小さなお堂を訪れました。昔、この場所は、日光街道(蒲生茶屋通り)から大相模不動尊(大聖寺)へ向かう分かれ道(分岐点)にあたりました。ここから大相模不動尊に至る道は不動道(ふどうどう)と呼ばれていました。二基の石塔のひとつは、その道しるべです。

道標と庚申塔 お堂に並んでいる二基の石塔です。左が不動明王立像付き道標(ふどうみょうおうりつぞうちきどうひょう)。江戸中期・享保13年(1728)造立。道標には「是より大さがミ道」(これよりおおさがみどう)と彫られています。右の石塔は、江戸中期・正徳(しょうとく)3年(1713)に造られた青面金剛像庚申塔(しょうめんこんごうぞう こうしんとう)です。

ぎょうだいさま

ぎょうだいさま 道しるべをあとに、次の訪問先・清蔵院(せいぞういん)に向かう途中、旧日光街道(蒲生茶屋通り)沿いに、わらじが吊るされている小さなお堂がありました。場所は、テレビや舞台などの小道具を作っている藤浪小道具(7号倉庫)の前。

お堂の中には「ぎょうだいさま」と呼ばれる石塔が祀られています。この石塔は、江戸中期・宝暦7年(1757)に行なわれた日光街道の補修を記念して建てられたもので「砂利道供養」(じゃりみちくよう)と彫られています。

ぎょうだいさま(解説写真) 今は、お堂の中に祀られているので、全体像を見ることはできませんが、ガイドさんが、砂利道供養と彫られた石塔の写真を見せてくれました。ぎょうだいさまは、旅の守り神として崇められようになり、道行く人たちは、わらじを供えて道中安全(旅の安全)を祈願したといわれています。ちなみに「ぎょうだいさま」とは「私の神様」という意味だそうです。

清蔵院の山門

清蔵院 10時20分。清蔵院(せいぞういん)に到着。越谷市蒲生本町13-41。真言宗智山派のお寺で、創建年代は不詳ですが、戦国時代の天文3年(1534)に開山したと伝えられています。本尊は十一面観音。

清蔵院の山門 清蔵院の見どころは山門。江戸初期・寛永15年(1638)に関西の工匠によって建立され、欄間(らんま)には龍をはじめ見事な彫刻が施されています。清蔵院の山門は、越谷市の有形文化財にも指定されています。

龍の彫刻 欄間に金網で囲ってある龍の彫刻があります(上の写真)。この彫刻は、江戸初期の建築彫刻の名工・左甚五郎(ひだりじんごろう)の作であるされ、夜になるとこの龍が山門から抜け出して田畑を荒らしたことから、金網で囲ったと伝えられています。

旧日光街道|蒲生西町付近

旧日光街道(足立越谷線)蒲生駅入口付近 清蔵院をあとに、旧日光街道(足立越谷線)を蒲生駅入口方面に進みます。

日光道中補修寄附記念塔|砂利供養塔

日光道中補修寄附記念塔 10時40分。越谷市蒲生交流館前に到着。越谷市蒲生寿町4-9。場所は、消防署・蒲生分署の隣、道路の反対側には東武こしがや自動車教習所が見えます。交流館と消防署の境界(道路際)に石塔があります。この石塔は、江戸中期・宝暦7年(1757)に造立された日光道中補修寄附記念塔。

利道供養塔 江戸時代、度重なる水害によって被害を受けたこの地(蒲生地区)の日光道中(日光街道)を砂利道(じゃりみち)に補修するために、地元の地主・大熊仁兵衛(おおくまにえい)らが多額の寄付をしたことを記念として建てられた石塔で、「利道供養塔」(じゃりくようとう)とも呼ばれています。

明治天皇田植御覧の処碑

敷地 10時55分。続いて、明治天皇田植御覧の処碑(めいじてんのうたうえごらんのところひ)に向かいました。場所は、蒲生交流館前から旧日光街道を南越谷駅方面に350メートルほど進んだあたりの道路沿いです(越谷市南越谷1-5)。ちょっとした庭園のような敷地があり、そのうしろに、石碑が並んでいるのが見えます。

石碑 フェンス越しに「忠勇碑」「忠魂碑」などと彫られた石碑が 5基並んでいます。明治天皇田植御覧の処碑は向かっていちばん左です。

明治天皇田植御覧の処碑 上の写真が明治天皇田植御覧の処碑。明治天皇田植御覧之處(めいじてんのうたうえごらんのところ)と彫られています。明治天皇が、明治9年(1876)6月に行なった東北巡幸(じゅんこう)のさいに、越谷を通過するとき、この地(蒲生)で田植えの様子をご覧になったことを記念して、昭和31年(1956)に建てられました。

埼玉県田植天覧之図 当時の巡幸(天皇が各地をまわること)は馬車で行なわれたので、お供の数は総勢千人を超える大行列だったそうです。明治天皇が蒲生で田植えをご覧になっている様子が描かれている「埼玉県田植天覧之図」(三代目・歌川広重作)のコピーをガイドさんが見せてくれました。

南越谷阿波踊り由来碑

中央住宅(ポラス)本社ビル 11時10分。最後見学先・南越谷阿波踊り由来碑に到着。中央住宅(ポラス)本社ビルの前です(越谷市南越谷1-21-2)。場所は新越谷駅前交差点(旧日光街道と新越谷駅前通りが交差するところ)の角です。

南越谷阿波踊り由来碑 日本三大阿波踊りのひとつに数えられるほど有名になった南越谷の夏の風物詩・南越谷阿波踊り。第1回目は昭和60年(1985)8月に開催。令和元年(2019年)で35回目を迎え、来場者も70万人を超える大イベントになりました。平成16年(2004)第20回開催を記念して、南越谷阿波踊りの由来が刻まれ、この碑が造立されました。

帰路

新越谷駅前通り 南越谷阿波踊り由来碑をあとに、新越谷駅前通りを進んで、最終地点の南越谷駅(南口)に向かいます。

帰着・解散|南越谷駅南口

南越谷阿波踊りブロンズ像 11時20分。JR武蔵野線・南越谷駅南口に到着。南越谷阿波踊りブロンズ像が迎えてくれました。ガイドさんのあいさつのあと11時30分解散。

南越谷駅南口 午前9時半に東武伊勢崎線・新田駅東口を出発して歩いた距離は約4キロ。所要時間は2時間。「観光ぶらっとこしがや~日光街道を歩く~」は、ガイドさんの分かりやすい解説もあって、今まで知らなかった蒲生・南越谷地区の史跡や歴史に触れることができました。

観光ぶらっとこしがや体験記

越谷市平方と大泊の寺社巡り|2018年12月13日
越谷市新方地区の桜名所と寺社めぐり|2019年4月4日
元荒川周辺の新越谷八景を歩く|2019年5月16日
越谷市の史跡探訪と文教大学の学生食堂で昼食|2019年6月14日

観光ぶらっとこしがや|越谷市観光協会

観光ぶらっとこしがやの主催は越谷市観光協会。内容や申し込みなどは 越谷市観光協会 まで。電話番号は 048-971-9002 。受付時間は午前9時から午後5時。水曜日はおやすみです。観光ぶらっとこしがやについては広報こしがやでも掲載されます。

南越谷の隠れた名店きっちゃてんで昼食

きっちゃてん| 時計を見ると11時35分。お昼前。おなかもすいたし、せっかく南越谷まで来たんだからということで、南越谷の隠れた名店きっちゃてんで昼食をとることにしました。越谷市瓦曽根3-6-58。JR南越谷駅(北口)ロータリーから約800メートル。徒歩8分。通りから道を一本はずれた住宅街の中にあるので、ちょっと見つけにくい場所にあります( 地図を表示

きっちゃてんの名物ナポリタン きっちゃてんの創業は昭和57年(1979年)。アンティークな調度品や小物が飾られた店内は昭和の喫茶店という雰囲気。カウンター席に座り、二代目店主がサイフォンでコーヒーを淹れる姿を眺めながら名物のナポリタン(コーヒー付き)を注文。太麺でケチャップ濃いめ、懐かしのナポリタンです。

サイフォンで淹れたコーヒー 食後のコーヒーはブレンド。先代から受け継がれたサイフォンで淹れるコーヒーの味もいい感じ。笠間焼のコーヒーカップとソーサも店の雰囲気に溶け込んでいます。観光ぶらっとこしがやで、蒲生と南越谷地区の歴史に触れたあと、南越谷の隠れ家喫茶店「きっちゃてん」で、ひとり静かにぜいたくな時間を過ごすことができました。
 

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