越谷市瓦曽根の石仏と歴史めぐり|瓦曽根溜井・照蓮院…他

2019年9月8日(日)越谷市郷土研究会・地誌研究倶楽部主催のイベントに参加しました。越谷駅東口を起点とし、瓦曽根溜井・瓦曽根稲荷神社・中村彦左衛門家・照蓮院(千徳丸供養塔)・最勝院(観音堂)跡地・東正院(薬師堂)跡地など、埼玉県越谷市瓦曽根(かわらぞね)地区の石仏や史跡を約3時間半かけて巡ってきました。

 

瓦曽根村の石仏と歴史散歩|2019年9月8日

瓦曽根村の石仏と歴史散歩 今回、私が参加したのは、越谷市郷土研究会・地誌研究倶楽部主催「瓦曽根村の石仏と歴史散歩」(2019年9月8日・日曜日)。巡った場所は12箇所。越谷市瓦曽根地区の知られざる歴史に触れながら歩いた様子を写真を交えてお伝えします。

集合|越谷駅東口

越谷駅東口 集合は東武伊勢崎線・越谷駅東口。参加人数は28人。案内役・越谷市郷土研究会の加藤幸一さんと地誌研究倶楽部の代表・秦野秀明さんのあいさつのあと、午前8時30分、出発。

出羽三山の石塔

出羽三山の石塔 最初に向かったのは、出羽三山の石塔(越ヶ谷1丁目6番地)。越谷駅東口から市役所前中央通りを通って越谷2丁目の信号の先、葬儀会館ティア越谷の裏手を右に曲がった細い道(古道)の一角にあります。

造立は江戸後期・文化14年(1817年)丁丑(ひとのうし)九月吉日。正面に「羽黒山 湯殿山 月山 百番観世音奉供養塔 二世安楽也 元祖 井橋清兵衛 行年七十三才書」と彫られています。

不動堂

不動堂 続いて向かったのは不動堂(越ヶ谷1丁目6番地)。出羽三山の石塔から古道を30メートルほど進んだところにぽつんと建っています。「成田山」と書かれた木製の扁額(へんがく)が掲げられています。地元では「お不動様」と呼ばれ、10年ほど前までは、お堂の側面に、不動の絵馬や拝み絵馬が掛けられていたそうです。かつては不動信仰が盛んだったことを思わせます。

伊豆石 何の変哲もないお堂と思いきや「土台部分に伊豆石(いずいし)が使われている」とのこと(地誌研究倶楽部代表・秦野秀明さん談)。伊豆半島で切り出される石は質がいいことから、伊豆石と呼ばれ、江戸城のお堀にも使われているそうです。

瓦曽根溜井

瓦曽根溜井 不動堂をあとに三番目に向かった先は「瓦曽根溜井」(かわらぞねためい)。農業用水を溜めておく溜め池として江戸期から利用されていました。場所は越谷市中央市民会館の裏手(葛西用水)のあたり。かつては溜井内に離れ小島があり水神様が祀られていたそうです。

また、江戸時代後期の浮世絵師・鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)の『瓦曽根溜井図』(かわらぞねためいず)には、瓦曽根溜井の風景が描かれていて、水神社をはじめ土橋・河岸場・帆船・四つ手網で魚を捕っている漁師の姿などが見られます。

旧平和橋跡

旧平和橋跡 瓦曽根溜井から葛西用水の右岸側遊歩道を上流に50メートルほど移動。旧平和橋跡地に向かいました。現在の平和橋は、市役所と中央市民会館の間・市役所中央通りの葛西用水路に架かっていますが、昔は、現在の平和橋と、しらこばと橋の中間地点に架かっていました。

旧・平和橋は欄干(らんかん)のない土橋で、瓦曽根橋(からわぞねばし)や溜井橋(ためいばし)と呼ばれていました。また、旧平和橋の下流側の土手には団子屋があり、団子屋の渡しと呼ばれる渡し場もあったそうです。

瓦曽根稲荷神社

瓦曽根稲荷神社 5番目に訪れたのは瓦曽根稲荷神社(埼玉県越谷市瓦曽根1-5-10)。葛西用水右岸側・久伊豆通り沿い(中央市民会館としらこばと橋の中間地点あたり)にあります。創建年代は不詳ですが、瓦曽根村の鎮守として祀られてきました。

龍王講の石灯籠 社殿横の柵の中に「龍王講」(りゅうおうこう)と刻まれた御神灯(ごしんとう)が置かれています。明治16年(1883年)造立。案内役の加藤幸一さんの解説によると「かつて瓦曽根の溜井には龍神伝説があって、これに由来して、この地(瓦曽根村)では龍神信仰が盛んだった」そうです。

シメブチ その龍神信仰の名残として、瓦曽根稲荷神社では、毎年、初午(はつうま)に、龍を摸した「シメブチ」(〆打)と呼ばれる注連縄(しめなわ)を社前に奉納しています。

道標石塔 境内の脇(鳥居の横)に、道しるべの石塔(道標石塔)があります。正面には「江戸」、右側面には「のだ」(野田)「ほふしばな」(宝珠花)と彫られています。左側面は風化が進んで「大○○○○」としか読めませんが、案内役の加藤幸一さんによると「大相模の不動尊を指していると思われる」とのこと。

中村彦左衛門家

中村彦左衛門家 6番目に訪れたのは、瓦曽根稲荷神社から40メートルほど離れたところにある中村彦左衛門家(越谷市瓦曽根1丁目5番地)。中村家は江戸時代から続く瓦曽根村の名主で、上述の鳥文斎栄之・作画『瓦曽根溜井図』は、中村家に遊びに来た鳥文斎栄之が、瓦曽根溜井の景観に感動して画筆をとった、といわれ、中村家も描かれています。

中村彦左衛門家は個人宅ですが、特別の許可を得、今回、敷地内を見学させていただくことができました。12代目当主の奥さまが出迎えてくださり、徳川家康から賜わった家宝の短刀や明治38年(1905年)に東郷平八郎元帥が中村家を訪れた話など、中村家の歴史についてお話ししてくださいました(個人宅につき家屋の写真は割愛)

瓦曽根溜井図の解説 続いて、越谷市郷土研究会の高橋誠一さんから資料が配付され、独自に研究・調査された「瓦曽根溜井図」(鳥文斎栄之)と中村家の関係などについての解説がありました。

手水鉢 このあと中村家の敷地内を見学。こちら(上の写真)は、庭に置かれている江戸時代末期・文政10年(1827年)造立の手水鉢(ちょうずばち)。「盥観」と彫られています。読み方は「観盥」(かんだらい)または「観盥」(みたらい)。正確には分かりません。「手を洗うための盥(たらい)ではなく観賞するための盥、という意で、風流を愛でる文化人的な造語かもしれません」(案内役・加藤幸一さん談)

文庫蔵 敷地の裏手には文庫蔵(ぶんこぐら)が見えます。中村家に伝わる貴重な古文書などが保管されています。

 

照蓮院

照蓮院 7番目。中村家をあとに向かった先は、中村家の隣の敷地にある照蓮院(しょうれんいん)。住所は越谷市瓦曽根1-5-43。建立年代は不詳。真言宗豊山派のお寺です。

如意観音菩薩像 山門をくぐって境内を右にいくと如意輪観音菩薩像(にょいりんかんぜおんぼさつぞう)があります。江戸初期・寛文9年(1669年)造立。

弘法大師像付き一千年御遠忌供養塔 本堂を正面に見て右手前にあるのが、弘法大師像付き一千年御遠忌供養塔(こうぼうだいしぞうつき いっせんねんごおんき くようとう)。建立は江戸後期・天保5年(1934年)、台座は明治17年(1884年)造立。供養塔は、名工とうたわれた草加宿の石工・青木宗義(あおきそうぎ)作。

千徳丸供養塔 照蓮院の墓地の一画には、安土桃山時代の天正10年(1582年)、武田家滅亡の折、瓦曽根村に落ち延びて、病気で早世した武田勝頼の遺児・千徳丸(ちとくまる)の供養塔があります(上の写真の左から四番目のいちばん小さい石塔)。造立は江戸前期・寛永14年(1637年)。千徳丸の供養墓石は「千徳丸供養塔」(ちとくまるくようとう)の名で、越谷市の史跡(指定記念物)にも指定されています。

最勝院跡地

最勝院・観音堂跡地 8番目。照蓮院の次に向かったのは、足立越谷線沿いにある最勝院(さいしょういん)跡地。現在は、照蓮院さくら幼稚園と照蓮院の駐車場になっている場所です(埼玉県越谷市瓦曽根1-5)。昭和30年代まで、この場所には、最勝院というお寺があり、成田山不動堂や観音堂もありました。境内には土俵もあって最勝院奉納相撲も行なわれていました。

石仏と石碑 最勝院跡地(照蓮院の駐車場)の一角には、柵で囲まれて、青面金剛像庚申塔(しょうめんこんごうぞうこうしんとう)・力石(さし石)・最勝院奉納相撲由来碑・窮民救済の碑(越谷市指定有形文化財)などが、まとめて置かれています。

弁天社

弁天社 9番目に立ち寄ったのは照蓮院持ちの弁天社(越谷市瓦曽根2丁目19番地)。住宅地にひっそりと建っています。敷地内には弁天堂祈念碑と小さな祠が見られます。

里程標(りていひょう)

瓦曽根ロータリー 10番目。日光街道(越谷流山線)と足立越谷線が交叉する瓦曽根ロータリーにある里程標(りていひょう)を遠めに見学。上の写真の黄色で囲ったのが里程標。里程標とは道路のわきなどに立てて里数を記した標識・道しるべのこと。

里程標 里程標には、東京雷門 五里(二十粁)/浦和 三里半(十四粁)/大宮 五里(二十粁)/川口 四里(十六粁)/鳩ヶ谷 三里(十二粁)/草加 一里半(六粁)/吉川 一里(四粁)/野田 二里半(十粁)/粕壁 二里半(十粁)/岩槻 三里(十二粁)と記されています。※粁はキロメートル

不動尊道しるべ

不動尊道しるべ 11番目に向かったのは、不動尊道しるべ。足立越谷線・瓦曽根の信号と越谷流山線(日光街道)を抜ける道の中ほどにあります(埼玉県越谷市瓦曽根1丁目2番地)。江戸中期・寛保元年(1741年)造立。上段に不動明王像が置かれ、越ヶ谷宿から大相模不動尊(大聖寺)に行くための道しるべとして建てられたもの。かつては日光街道沿いに置かれていました。

六面六地蔵

六面六地蔵 12番目。最後に訪れたのは、栃木銀行越谷支店の駐車場そばにある六面六地蔵(ろくめんろくじぞう)。子供を抱えたお地蔵さまなど六尊の地蔵菩薩像が浮き彫りされています。江戸後期・文化元年(1804年)造立。

石仏 敷地内には、六地蔵のほかにも秋葉大権現塔・庚申塔・地蔵菩薩立像などの石仏が並んでいます。江戸時代、このあたり(越谷市瓦曽根1丁目)は、東正院(とうしょういん)という修験道の寺院があった場所で、栃木銀行越谷支店の駐車場には薬師堂がありました。

解散|越谷駅東口

越谷駅東口 12時。越谷駅東口に到着。案内役・加藤幸一さんのあいさつのあと解散。越谷市郷土研究会・地誌研究倶楽部主催「瓦曽根村の石仏と歴史散歩」。奥深い解説で、越谷市瓦曽根の知られざる歴史に触れることができました。

越谷市郷土研究会のイベント

越谷の六阿弥陀巡りに行ってきました|天嶽寺・林西寺…
第493回越谷市郷土研究会史跡めぐり|2018年10月14日
越谷市郷土研究会文化財パトロール|2019年4月11日
越谷市の古綾瀬川をたどりながら幻の村・山谷村を巡ってきました。
NPO法人 越谷市郷土研究会

越谷市郷土研究会は昭和49年(1974年)に設立したNPO法人で、史跡めぐりをはじめ講演会や研究発表会、イベントの開催など、年間100回近くの行事を催しています。会員数は350名余。会員になると機関誌も送られてきます。越谷市郷土研究会の詳細などにつきましては上記ホームページをご覧ください。
 

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