2019年10月5日・土曜日。宿場町の面影が残る越谷市内の旧日光街道沿いで開催されたイベント「日光街道 越ヶ谷宿 重陽の節句」(にっこうかいどう こしがやじゅく ちょうようのせっく)~大人のひな祭り~を見てきました。菊の花が飾られた街道沿いの古民家や人形店で展示されている江戸時代の雛人形、歴史的建造物など越ヶ谷宿の新旧名所を写真とともにお伝えします。
日光街道 越ヶ谷宿 重陽の節句
重陽の節句(ちょうようのせっく)とは「菊の節句」とも呼ばれ、9月9日に、菊を使って不老長寿を願う日本古来の風習です。「後の雛」(のちのひな)「大人のひな祭り」とも呼ばれ、お雛様を飾ったり、菊の薬効成分を含んだ水や菊酒を飲んだりして、健康や長寿を願います。越谷市内の旧日光街道沿いでは、旧暦9月9日に近い土曜日と日曜日に「日光街道 越ヶ谷宿 重陽の節句」(旧日光街道越ヶ谷宿を考える会主催)が行なわれます。第3回目となる2019年は10月5日(土)6日(日)の二日間。期間中は、まちあるきとトークイベントやシンポジウムなどが開催されるほか、街道沿いの旧家やお店では、菊の花や雛人形が展示されたり、限定の茶菓子がふるまわれます。
重陽の節句|越ヶ谷宿 新旧名所めぐり
2019年10月5日・土曜日に「日光街道 越ヶ谷宿 重陽の節句」会場である越谷市内の旧日光街道沿い(越ヶ谷宿)を歩いてきましたので、越ヶ谷宿の新旧名所なども紹介しながら「大人のひな祭り」の風景をお伝えします。起点|ガーヤちゃんの蔵屋敷
午前10時15分。越谷市が2017年5月に東武伊勢崎線・越谷駅(東口)高架下に開設した観光物産拠点施設「ガーヤちゃんの蔵屋敷」。来場者も今年(2019年)9月に20万人を超え、越谷市の新しい観光施設として人気も定着してきています。越ヶ谷宿の玄関口でもあるガーヤちゃんの蔵屋敷で「日光街道 越ヶ谷宿 重陽の節句」のパンフレットをいただいて、まずは越ヶ谷宿の起点(不動尊道しるべ)に向かいます。
市役所前中央通り~越谷流山線
市役所前中央通りを進んで、旧日光街道・越谷流山線(52号線)の信号(埼玉県民共済紳士服越谷店)を右折。100メートルほど進みます。越ヶ谷宿起点|不動尊道しるべ
栃木銀行越谷支店前の信号脇に、旧日光街道・越ヶ谷宿の入口と、大相模不動尊(大聖寺)や吉川に通じる不動道との追分(おいわけ)=分岐点であることを示す道しるべ(不動尊の道しるべ)が建っています。この道しるべは、この場所が越ヶ谷宿の起点(入口)であることを示しています。造立は江戸中期・寛保(かんほう)元年(1741年)。石塔の上が不動明王像で、下が道標(どうひょう)。「是よ里大さかミ道」(これよりおおさがみみち)と彫られています。
越ヶ谷宿 起点周辺の街並み
上の写真は越ヶ谷宿の起点周辺の街並みです。旧日光街道・越谷流山線(52号線)。左の建物は栃木銀行越谷支店(越谷市越ヶ谷1-9-19)。ここから大沢橋手前までの約1キロメートルのエリアが越ヶ谷宿です。自家焙煎 珈琲処 晴れ晴れ
10時35分。今年(2019年)2月に旧日光街道・越谷流山線沿いにオープンした「自家焙煎 珈琲処 晴れ晴れ」(はればれ)に立ち寄りました。住所は越谷市越ヶ谷1-3-26-1F店内では飲食ができるほか自家焙煎珈琲豆の販売も行なっています。コーヒー豆は注文を受けてから焙煎してもらえます。
アイスコーヒーを注文。アイスコーヒーを飲みながら、これから訪れる場所の位置やまわる順番などを確認しました。
植木屋人形店
10時50分。植木屋人形店を訪れました(越谷市越ヶ谷2-7-3)。創業は江戸中期・安永年間(1772年~1780年)。老舗の人形店です。店内には重陽の節句を祝う菊酒(きくざけ)や菊の被綿(きくのきせわた)が展示されていました。菊の被綿とは、重陽の節句(陰暦9月9日)の前夜、菊の花に綿をかぶせ、翌日の重陽の節句に、夜露を吸った綿で肌をふくと若返る(長生きできる)、と言われた風習です。
こちら(上の写真)は、昭和57年(1982年)から昭和61年(1985年)までの4年間、NHKの正面玄関に飾られていた越谷雛(こしがやびな)です。
店主の会田正三(あいだしょうぞう)氏が、越谷雛の歴史や重陽の節句の由来などを説明してくださいました。
会田正三氏が「珍しい物がある」とおっしゃって見せてくださったのが絵巻物。今月(10月12日・13日に)、越ヶ谷秋まつりが開催されますが、じつは、越ヶ谷秋まつりの行列は神田明神祭りの行列が原形になっているとのこと。それを裏付けるのがこの絵巻物です。
こちら(上の写真)は、植木屋人形店が明治初年に制作した越ヶ谷秋まつりの山車のミニチュアです。ひじょうに精巧にできています。人形職人の技が光ります。貴重な資料や展示物の数々を解説してくださった植木屋人形店主・会田正三さん、ありがとうございました。
越谷湯元温泉イーホテル越谷
今年(2019年)1月に開業した越谷湯元温泉イーホテル越谷(越谷市越ヶ谷2-2-25)。宿場町の越ヶ谷宿でいちばん新しい旅籠(はたご)です。場所は植木屋人形店の正面です。水引工芸スタジオふるかわ
11時10分。水引工芸スタジオふるかわにおじゃましました(越谷市越々谷2-4-21)。元々はおもちゃ屋さんと駄菓子屋さんでしたが、残念ながらおもちゃ屋さんと駄菓子屋さんは廃業。今は、水引工芸スタジオになりました。水引づくりの教室も行なっています。水引教室の問い合わせは 048-962-2336 水引工芸スタジオ・ふるかわまで。店内には水引の作品が展示されています。おもちゃ屋さん時代の名残として、昭和時代のレーシングカーや戦闘機のプラモデル、ピンクレディーのおもちゃなど、わずかですがレアな商品も残っています。噂を聞きつけて他県からわざわざ買いに来るお客さんもいるそうです。
横田診療所
越ヶ谷宿でひときわ目を引くピンク色の建物は、今も現役の横田診療所です(越谷市越ヶ谷3-2-30)。診療科目は内科・小児科・産婦人科・外科。レトロ感ただよう西洋風の木造二階建て。築造は昭和10年(1935年)。昭和35年(1960年)までは郵便局でしたが、そのあと横田診療所になりました。まち蔵カフェ油長内蔵
11時20分。まち蔵カフェ油長内蔵(あぶらちょううちくら)でひとやすみ。この蔵は、油長(あぶらちょう)という屋号で油屋(あぶらや)を営んでいた旧家・山崎家の蔵(明治時代築)を再生して、2015年に、1階部分はカフェスペース(まち蔵カフェ)、2階は展示スペースとして生まれ変わりました。アイスコーヒーとサンドイッチを注文。外のテラス席で秋風に吹かれながらゆったりとした時間が流れていきます。大人のひな祭りにふさわしいひとときです。11時35分。まち蔵カフェ油長内蔵をあとに、街巡りを続けます。
cafe803
2016年12月に越ヶ谷宿(旧日光街道沿い)にオープンしたベーカリーカフェ「CAFE803」(カフェはちまるさん)。越谷市越ヶ谷3-3-16。焼きたてパンやランチメニューのほかに、レンタルキッチンやイベントなどが行なえるスペースもあります。木下半助商店
越ヶ谷宿を象徴する木下半助商店(きのしたはんすけしょうてん)。大工道具や金物を扱っているお店です。江戸後期の創業ですが、明治の大火で焼失。現在の家屋は明治38年の大火後に再建されたもの。2015年に越谷市では初となる国の有形文化財に登録されました。店頭には、重陽の節句(大人のひな祭り)を祝う菊の花や高砂人形(たかさごにんぎょう)が飾られていました。
越ヶ谷宿の街並み
木下半助商店の手前から写した旧日光街道沿い(越ヶ谷宿)の街並み。左が木下半助商店、右手が明治時代築の小泉家、その隣が鍛冶忠(かじちゅう)商店。宿場町の面影が残る風景です。ちなみに、おくのほそ道の旅で松尾芭蕉もこの道(旧日光街道)を通りました。残念ながら『おくのほそ道』には越ヶ谷宿については記されていません。もし松尾芭蕉が越ヶ谷宿に宿泊していたら、当時・越谷の名物だったうなぎを食べて一句残したかもしれません。
越谷商工会議所|トイレ休憩
11時50分。越谷商工会議所でトイレ休憩。住所は埼玉県越谷市中町7-17。館内には越谷市の観光パンフレットや資料なども置かれています。河内屋旅館
こちら(上の写真)は、創業300年の老舗旅館・河内屋旅館(かわちやりょかん)。江戸時代前期の創業ですので、まさに越ヶ谷宿の旅籠です。建物は建て替えられていますが、今も営業しています。住所は越谷市越ヶ谷本町8-2河内屋旅館の東口は黒板塀になっていて趣があります。
はかり屋
2018年4月にオープンした「はかり屋」(越谷市越ヶ谷本町8-8)。明治38年(1905年)ごろに建てられた土蔵造りの二階建て建物(旧大野屋邸秤屋=きゅうおおのやていはかりや)をレストランやショップを備える古民家複合施設として再生させました。各種イベントも行なっています。はかり屋の敷地内ではザクロの実が実っていました。瓦屋根の母屋と板塀は古民家の風情を感じます。取り壊されずに古民家複合施設として生まれ変わった母屋にザクロの木も喜んでいるかのようです。
市神社
12時5分。市神社(いちじんじゃ)で参拝。住所は越谷市越ヶ谷本町8-11。市神神明社(いちがみしんめいしゃ)・本町の神明神社(ほんまちのしんめいじんじゃ)・市神様(いちがみさま)とも呼ばれています。かつて越ヶ谷宿では、二と七の日に(月6回)六斎市(ろくさいいち)という市が開かれていて、市神社は、その市場の守り神として祀られていました。また、このあたり(越ヶ谷本町)の鎮守でもあります。
都築家蔵
12時10分。市神社の正面奥の敷地に、歴史を感じる蔵があったので、眺めていたら蔵の家主さん(都築氏)が自宅から出てきて、蔵の中を特別に見せてくださいました。ちなみにこの蔵は珍しい鉄筋コンクリートで「都築家の蔵」(つづきけのくら)と呼ばれています。蔵の家主である都築家(つづきけ)は、代々この地(越谷)で味噌づくりを営んでいたそうです。現在のご主人は7代目当主。越谷はかつては味噌づくりが盛んでしたが、越谷は麦を原料とした麦味噌だったために、信州の米麹味噌の台頭で、しだいに衰退してしまったそうです。都築家も今は味噌づくりや味噌の販売は行なっていません。
蔵の中に案内され、内扉に「埼玉味噌販賣所」(さいたまみそはんばいじょ)と書かれた金庫を開けて見せてくださいました。火災にも盗難にもびくともしない頑丈な金庫です。味噌で財をなした都築家の金庫。圧倒されました。
こちら(上の写真)は蔵の二階です。手入れが行き届いた道具類が整然と置かれています。古文書なども保管されているそうで、かなりのお宝が眠っていそうな雰囲気です。
このあと、ご主人が、昭和46年(1971年)に、越谷市の市民安全パレードに、先代の林家三平が来たときの写真を見せてくださいました。ご主人の都築氏とオープンカーに乗った林家三平が握手をしている写真です。これは貴重な写真ですね。都築家の7代目当主・都築さん、貴重なものをみせいいただきありがとうございました。
大沢橋|越ヶ谷宿と大沢宿の境
12時30分。越ヶ谷宿の終点・大沢橋(大橋)の手前まで来ました(越ヶ谷本町の信号)。大沢橋の下を流れているのは元荒川。大沢橋を越えると大沢宿(おおさわじゅく)になりますが、越ヶ谷宿と大沢宿を合わせて越ヶ谷宿と呼ぶ場合もあります。大沢宿は、旅籠屋が多くみられ、旅籠屋の町として栄えましたが、大正時代に東武線(東武伊勢崎線)が開通したこともあって、旅籠町としての役割を終えました。ちなみに先ほどの市神社はかつては大沢橋のたもと(上の写真正面の木が茂っているところ)にありましたが、道路の拡張工事により、現在の場所に移されました。
大沢橋付近の街並み
上の写真は旧日光街道沿いの大沢橋(大橋)付近の街並みです。米長乾物店や会田金物店など明治時代に建てられたお店も残っています。終着|八百喜参の蔵
12時40分。「日光街道 越ヶ谷宿 重陽の節句」街巡りの終着地・八百喜参の蔵(やおきさんのくら)に到着(越谷市越ヶ谷3-3)。外見は石造りのように見えますが、洗い出しと呼ばれる製法で作られた木造の蔵で、越ヶ谷宿でイベントが催されるときは蔵の中の展示物などを見学することができます。蔵の2階では、重陽の節句をお祝いする飾りや雛人形が飾られていました。
蔵を見学したあと、大木の木陰で、菊茶と和菓子をいただきました。
八百喜参の蔵のご主人が、荘村清志のギター演奏のLPレコード『12の歌・地球は歌っている』(編曲:武満徹)を聞かせてくださいました。流れてきたのはビートルズの『ミッシェル』。モミジの巨木の下で風に吹かれながらのんびりと重陽の節句(おとなの雛祭り)を満喫しました。
関連記事
越ヶ谷宿の雛めぐりガイドツアー<2019>に参加してきました。越ヶ谷宿の甲冑めぐりガイドツアー<2019>に参加してきました。
越谷市「第6回宿場まつり」に行ってきました<2018年11月18日>
越ヶ谷宿を巡るガイドツアー重陽の節句<2018>に参加しました。