幸手市南と中の寺社等を幸手宿観光ガイドの案内で巡った。


 

移動|心鏡院へ向かう町並み

踏切 薬師堂をあとに東武日光線を右手に見ながら、幸手市南二丁目、南三丁目、中五丁目の住宅地や新旧の町並みを抜けていきました。
東武丸山病院
東武丸山病院 東武丸山病院。住所は幸手市南2-2-13。昭和26年(1951年)に開設した精神科・神経科・心療内科を専門とする歴史のある医療機関です。
幸手駅西口地区土地区画整
地区土地区画整 幸手市南三丁目。右手の200メートルほど先に幸手駅西口ロータリーが見えます。このエリアは現在、道路整備や治水対策をはじめ公園や緑道を造るための工事が行なわれています。
南三丁目の住宅地
幸手市南三丁目の住宅地 さらに道を北へ進んで、南三丁目の昔からある住宅地に入りました。車の通りも少なく閑静な町並みです。
中落悪水路
中落悪水路 東武日光線に沿って流れているのは中落悪水路(なかおとしあくすいろ)。農業排水路として用いられていますが、このあたりでは、家庭用排水などを流す都市排水路(下水道)になっています。橋を越えると中五丁目。次の訪問先、心鏡院までは約200メートルです。

心鏡院

心鏡院|山門 11時10分。13番目の訪問先、心鏡院(しんきょういん)に到着。住所は幸手市中5-8-24。曹洞宗(禅宗)のお寺です。
由緒
心鏡院|本堂 境内で、心鏡院の由緒について、ガイドさんが解説してくれました。「このお寺は、中世にこのあたりを治めていた一色氏(いっしきし)が建立しました。正式名は、萬像山心鏡院(ばんしょうざんしんきょういん)といいます。ご本尊は白檀(びゃくだん)の十一面観音菩薩。この観音様は一色氏の持仏(じぶつ)だといわれています」
太田福禄の墓
太田福禄の墓 境内(山門をくぐった右手)に、江戸末期の儒学者・太田福禄(おおたふくろく)の墓があります(上の写真)。福禄は、この地(幸手宿牛村)の名主を務めていた秋間家で学問の指南をして身を立てていましたが、明治5年(1872)に64歳で没し、心鏡院に埋葬されました。
 
続いて向かったのは、太田福禄が学問の指南をしていた秋間家。

秋間家|牛村病院

秋間家(裏門) 秋間家は心鏡院から北に50メートルほど歩いた場所にあります。幸手市中5-4-51。裏門に到着。江戸時代から明治初期まで世襲名主を務めた由緒ある家柄とあって敷地は広大。もともとは武家の家系でしたが、江戸中期・蘭学者だった六代目の当主が病院を開設。以来、牛村病院として地域の医療に貢献してきました。診療科目は泌尿器科と皮膚科。裏門の造りといい、瓦屋根の白壁の板塀といい、病院というより武家屋敷です。
昔の絵図
牛村病院を描いた昔の絵図 ガイドさんが「埼玉縣幸手甼牛村病院」と題した昔の絵図を見せてくれました。まさに名主様のお屋敷です。「幸手甼」の「甼」は「町」の異字体。ちなみに「牛村病院」の「牛村」は昔のこのあたりの地名です。
牛村病院
牛村病院 裏門から塀に沿って、病院のある表側に移動。病院の施設は近代的な建物になっていますが、病院の横にある主屋や庭園の風景は名主時代の面影をとどめています。病院の前をお堀のように流れているのは倉松川。病院の入口に架かっている橋は昔ながらの石橋。江戸時代にタイムスリップしたかのようです。

倉松川|中五丁目

倉松川|中五丁目 牛村病院をあとに、倉松川左岸沿いの道を南へ。このあたりの住所は幸手市中五丁目になります。150メートルほど歩いたところで、ガイドさんが「みなさん(倉松川の)対岸を見てください」と言って、立ち止まりました。
倉松川起点の石標
倉松川起点の石標 対岸に「準用河川 倉松川起点」と記された小さな石標が見えます。この場所は倉松川の起点。石標はその印。久喜のほうから流下してきた大中落悪水路(おおなかおとしあくすいろ)が、この地点で、倉松川と名称を変え、100メートルほど先で、先ほど通った中落悪水路(なかおとしあくすいろ)と合流。幸手駅の南側で線路の下をくぐって東側(幸手駅東口側)に抜け、杉戸・春日部方面へと流れていきます。
倉松川|久喜新道
倉松川|久喜新道 上の写真は倉松川起点から下流側を望んだ風景です。正面の川と交差している道は久喜新道(埼玉県道153号線)。石橋の名前は不明。正面前方に幸手駅の自由通路が見えます。右手が西口、左手が東口。前方左手を走っている電車は南栗橋方面に向かう東武日光線です。
 
本日最後、15番目の訪問先となった倉松川起点をあとに、終着点の幸手駅東口へ

帰路

踏切 倉松川左岸側の道から久喜新道に出て左折。踏切を渡って最初の信号を右へ
 
幸手駅東口周辺 100メートルほど先に幸手駅東口ロータリーが見えてきました。

帰着|幸手駅東口

幸手駅東口 11時30分。幸手駅東口に到着。午前9時に幸手駅西口をスタートし、2時間半かけて15箇所をめぐった幸手宿 宿場あるき「幸手駅西口コース」も無事終了。ガイドさんのあいさつのあと解散となりました。

昼食|そば処 更科

そば処 更科| 時間は11時40分。せっかく幸手まで来たんだから、ということで、お昼ごはんを食べていくことにしました。幸手駅東口ロータリーから駅前通り(東さくら通り)を50メートルほど歩いた左手に、「更科」というおそば屋さんがあったので、そこにしました。住所は幸手市中1-14-20。「手打ちそば」と書かれたのれんをくぐり店内へ

とろろそばをいただきました

とろろそば|そば処 更科 更科の営業時間は午前11時半からですが、すでに先客が四人いました。地元では人気のお店のようです。とろろそばを注文。そばは手打ちだけあってコシがあり喉ごしもいい。今日は二時間半歩いたので、こういうときはとろろそばにかぎります。そば湯もおいしくいただきました。

幸手宿宿場あるきに参加した感想

幸手宿「宿場あるき」幸手駅西口コース資料 幸手宿観光ガイドの会のみなさんとともに歩いた、幸手宿「宿場あるき」幸手駅西口コース。前回(2019年)参加させていただいた幸手宿宿場コースが幸手の「表」の顔なら、今回めぐった幸手駅西口コースは幸手の「裏」の顔とでもいいましょうか、幸手宿の歴史の裏側を垣間見たような気がしました。これもひとえに幸手宿観光ガイドの会のみなさんのおかげです。ありがとうございました。
 
前回参加した幸手宿宿場コースの様子はこちら >>>

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